夜明け前


 時計の日付が変わる頃、アッテンボローはようやく自分の執務室へと帰り着いた。この部屋に続く仮眠室が仮の塒となって今夜で4日目になる。
 唐突に迎えた停戦の後、疲弊と安堵に半ば浸っていた司令部の幹部たちは、ボリス・コーネフからもたらされた通信の姿をした爆弾に、またもや異常な緊張を強いられる破目に陥った。情報をいち早く得る為、事態に素早く対処する為、誰もが中央司令室により近い場所で息詰まるような数日を過ごしている。ヤンがレダUでこの要塞を出立してから6日。シェーンコップやユリアン等がその後を追ってから3日。
 待ち焦がれている連絡は、未だどちらからもなかった。


 執務机に向かい、書類を広げる。ベッドに入ったところで悶々とするだけなら、意識を向ける対象があるだけ、まだマシだ。ただ待つことしか出来ない歯痒さに、眠りの中でさえ神経を苛まれ続けているような気がする。これが誰であっても心配なことに変わりはない。だが……ヤンだけは特別だ。彼の存在は欠くべからざるもの。唯一無二のもの。瀕死の民主共和制にとっても、この要塞にとっても、そして、自分にとっても。
 人類社会の辺境となったこの小宇宙の中で、彼は間違いなくその中心に位置する恒星だ。自分ではそれと気付かず放つ光に、誰もが多少なりとも希望なり夢なりを託し、守られてきたに違いない。そして、そんな彼を守ろうとしてきたに違いないのだ。取り巻くように、抱きかかえるように、あるいは身を挺するように。
 他には何も望まない。どうか無事でいてくれ!―――と、アッテンボローはもう何度繰り返したかも判らない言葉を祈るように呟いた。



 「アッテンボロー?」

 すぐ傍で自分を呼ぶ声に、はっと目を開く。
 皮肉なことに、何時の間にかデスクに突っ伏してまどろんでいたらしい。顔を上げて辺りを見回すが、室内には自分の他に誰も居なかった。
 何がそうさせたのか―――導かれるように目を向けた時計の表示は0255時。そろそろ横になろうかと思ってから20分も経っていない。直後、背筋にぞわりとした悪寒のようなものを感じて、その寸前、不思議に温かな空気に包まれていたと気付いた。
 この温もり。それから自分を呼んだあの声。どちらもこの身に馴染んだ感触。
 長い付き合いの気安さからか時折ヤンが見せるあの仕草。足りない言葉を補うように肩に手を乗せて、柔らかな声で自分を呼ぶ。疑問形のように僅かに語尾を上げて、どこか甘えるような響きで、アッテンボロー?と。

 「先輩………?」

 呟いたとたん、息苦しいほどに胸の真ん中が痛んだ。
 肩の上に、まだ彼の手の温もりが残っているような気がした。
 耳の奥で、彼の声が繰り返し自分を呼ぶ。

 アッテンボロー? アッテンボロー? アッテンボロー……

 浮かんだのは、少し首を傾げてはにかむように微笑む顔。それが瞬く間に歪み、ぼやけていく。
 ポトッと小さな音をたてて皺になった書類の上に雫が落ちる。涙だと気付いた時には、もう自分では止めようが無かった。急激に膨れ上がる不吉な想像に身体が無自覚に反応する。指先が震え出した不快さに、アッテンボローはぐっと拳を握り締め色の変わったその指先を見据えた。
 自分たちが身を置くこの世界では、何時、誰の身に起こっても不思議のないこと。常に覚悟しているつもりでも、どんな絶望的な状況も巧みにかわし鮮やかに覆してきた彼の身にだけは起こらないと、そんな想いがあった。非科学的だ、馬鹿げた妄想だと否定する一方で、ヤンの訪いだけは否定しきれない自分がいる。ひたひたと冷たいものが足下から這い上がってくる感覚は、アッテンボローに確信に近い予感を抱かせた。


 けたたましいコールの音で我に返る。
 窓の外が白み始め、蛍光灯の投げかける光が、ぼやけて役目を終えようとしていた。緩慢に向けた視線の先で、緊急通信を報せる赤いランプが禍々しく点滅している。

 予感が、確信に変わる。

 流れるに任せた涙の所為か、慟哭は既に過ぎ去っていた。淡々と短いやり取りを終えた後、アッテンボローは冷たい水で叩きつけるように顔を洗うとベレーを被って部屋を出た。
 通信機から聞こえてきたキャゼルヌの声は、昂ぶるものを懸命に押さえているような低く強張った声だった。その震えが普段の沈着さを失った彼を物語る。だが、アッテンボローは不思議なほどに謐かな気持ちだった。ヤンの訪いが与えてくれた僅か数時間の時差。まるで執行猶予のようだと苦々しく感じながら、それを受け取った自分には、それなりの役割が課せられたのかも知れないと思う。
 ヤンが言いたかったこと、自分に望んだこと。
 それを知り、果たしたいと思うのは、彼を守りきれなかった悔恨と自責の念ゆえだろうか?それとも、単なる子供じみた願望だろうか?
 この先凶報が広がるに連れて、失意と困惑が要塞中を席巻し、死滅の危機に瀕した惑星宛らの様相を呈するのだろう。だが、中枢部に居る自分たちは、多くの者と共に失意に沈むことは許されない。ここで死に絶える訳にいかない以上、恒星を失ってなお惑星が生き延びる術を考えねばなるまい。ヤンが抱く想いに共鳴し、共に同じものを目指してきたことを思えば、この先進む道も掲げる想いも、何ら変わらない筈だ。彼が守ってきたものを、これからは自分たちが代わりに守り育てて行く。そしてそんな自分たちを、彼の残した言葉や想いが、守り支え続けてくれるのだろう。 ヤンはこれからも道標であり続ける。それぞれの心の中で、それぞれの形で。
 何もかも、これからなのだと思う。本当の戦いも、自分たちの真価が問われるのも、すべてはこれから。
 温もりの名残りを確かめるように、アッテンボローはその肩をぎゅっと掴んだ。


 早朝の通路には清涼な静けさが満ちている。窓の外では自然公園の木々の間から、偽物の太陽が偽物の空を染めて昇ろうとしていた。
 ヤンが我が家と呼んで愛したこの惑星の、いつもと変わらぬ風景。
 昨日までのように穏やかな気持ちで、朝を迎えられるようになりたいと願う。そして、いつかすべてを終えて母星に降り立ち、本物の空に本物の太陽が昇る様を仰ぎ見たいと―――ヤンもそれを望んでいるに違いないとアッテンボローは思った。
 真っ直ぐに延びた通路の先を見据え、再び歩き出す。その足取りは、しっかりと大地を踏みしめるように力強く、うしろ姿には、迷いを解いたものだけが持つ凛とした美しさが溢れていた。



End
2005/6/12

chizuさまのお宅【Resonance】さまの1周年に差し上げた作品です。
chizuさまのイラストの中で、私が特に好きな2作品からイメージして書かせていただいたのですが、お祝いなのに追悼モノという不届きな真似をしでかす破目に!申し訳ありません><。快くお受け取り下さったばかりか、拙作からイメージして素敵なイラストを描いてプレゼントして下さいました!! ご恩返しのつもりがお世話になりっぱなし、いただきっぱなしで^^; (←頭を掻いて誤魔化している) chizu先輩、本当にありがとうございましたVv 
素敵なイラストはこちらから〜♪(別窓開きます)



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