お決まりの音楽と競い合うようなイルミネーションが街を埋め尽くす頃、そんな世間のお祭り騒ぎを横目で見ながら、候補生達は今年最後の難関を前に奮闘していた。明日から始まる期末試験を無事にクリアしなければ、楽しい筈の冬期休暇も灰色の日々になる。今年は暖冬だとの予報だったが、それなりの時期になればそれなりの寒さがやって来るもので、今朝はいきなり今年一番の厳しい冷え込みになった。こんな日に図書館の当番に当ったのは、何しろ寒さが大の苦手というヤンにとって誠に不幸なめぐり合わせと言うしかない。広くて天井が高くてろくに暖房が効かない場所でカンヅメにされるのは、試験開始の前日に時間を取られることとは比べ物にならない苦行だった。

 カウンター業務をこなしながら、一応は教科書を開いて目を走らせていく。その間にも、手を擦り合わせ息を吹きかけてかじかんだ指先を温めようとするが、背中も尻も足も―――どこも彼処もがこう寒くては単なる気休めにしかならない。ほんの5分ほど前にも残り時間を確かめた壁の時計に諦め悪く再び目をやった時、見慣れた青灰色の瞳が人懐こい笑みを浮かべて近づいて来るのが見えた。
「こんな寒い日に当番なんて、ご愁傷さまです」
「ホントにそう思うなら、熱い紅茶を差し入れるとか……態度で示してくれよ」
「どうせなら酒の方が温まるんじゃないっすか?」
 カウンターに乗り出すようにして顔を寄せてくると、アッテンボローはヒソヒソと囁いた。飲食禁止の図書館、ついでに言うまでもなく校内で飲酒など論外。判っていて危ない会話を楽しむのは、彼らなりのお遊びだ。
「押しくら饅頭のお相手ぐらいなら勤めますけど?」
「ぷっ…いいよ。あと30分もすれば放免だからね。それよかその本、借りていくのかい?」
「あ、はい、お願いします。レポートの参考資料なんっすよ。ホントはあの本の続きをお借りして読みたいところなんすけど……もう続きが気になって気になって!」
「わかった、わかった。その所為で勉強に身が入らないなんて言われても困るから、明日持ってくるよ」
 それはヤンの蔵書から貸してやった、遥か古代の出来事を元に書かれた歴史ミステリー。現存する当時の資料など史実を確認できるものはごく僅かで、足りないところは推考して補う他はなく、その辺に作者の想像がたっぷりと入り込む。フィクションとノンフィクションが融合したような絶妙の味わいが、歴史にはあまり興味のないアッテンボローにも、いたくお気に召したらしかった。
「ほら、手続きするからIDカード出して」
 嬉しそうな後輩の笑顔からカウンター下に備え付けの端末に目を移し、ヤンはキーボードを片手で操作しながらもう片方の手を差し出した。その手に乗せられた薄いプラスティックのカードが滑り落ちたのは、ヤンの指先がかじかんでいた所為なのか、単にタイミングが悪かっただけなのかは判らない。ふたり同時にあっと声をあげて行方を追ったカードは、短い滑空を終えた後、カウンター下の内側からしか見えない場所に着地した。
「すいません!」
 すかさず声をあげて恐縮したアッテンボローに「いいよ、お互い様だ」と返しながら、ヤンはカードを拾おうとしゃがみ込んだ。軍籍証明であると共に学生証でもあるカードには、ID番号の他にも所属学科、学年、氏名、生年月日などの情報が記載され、顔写真までついている。学生生活の中で校内の様々な設備を利用する際に必要な要素が盛り込まれているわけだ。
 その情報の中、生年月日の記載にふと目を奪われ、ヤンはしゃがんだまま凍りついていた。

 11月23日。半月以上も前の日付。
 「言ってくれればケーキぐらいはご馳走したのに」と無邪気に恨み言を言おうとして寸でのところで飲み込んだ。
 何かがヤンの琴線に触れ、言葉を押し止めていた。
 その正体が何なのか、その場では解からなかったのだけれど。

「あの……先輩? 大丈夫ですか?」
 何時までも立ち上がらないヤンの頭上から、カウンター越しに気遣わしげな声が降ってくる。その声で我に返り、ヤンはカードを拾い上げると、指先がかじかんでいる所為で上手く掴めなかったのだと咄嗟に言い訳した。それからもう少し何かが―――彼の気を逸らす何かが必要だと感じて、写真と本人を見比べながら笑顔を繕う。
「あっ、あーっ!そんなモンしげしげと見ないでくださいよー!」
 慌ててカードを取り返そうとした後輩の反応に、乗ってくれたと内心でほっとしながら、ヤンは更ににやりと笑う。
「こらこら。手続きがまだだろう?」
 カードをリーダーに通し、続けて本のコードを読み取らせると、ヤンはカードを返しながら言った。
「おまえさん、結構写真写りがいいんだね」
「それって……実物が悪いってことっすか!?」
「あはは、違う違う。羨ましいって言ってるのさ」
「な〜んか誤魔化されてる気がするなぁー。まあ、いいっすけどね」
「くさるなよ。じゃあな。こんな所で油売ってないで、レポート頑張れよ」
 手を振りながら去っていく後輩に笑顔で応えて見送って。今、ヤンの頭の中を占めているのは、寒さではなく知ったばかりの後輩の誕生日だった。祝ってやりたかったと残念に思う気持ちと、それだけではない何かが引っ掛かっている。カウンターの卓上カレンダーを見ながら気掛かりの正体を突き止めようとしているうちに閉館時間が来て―――それに気付いたのは、図書館を出て渡り廊下を歩いている時だった。
 
 日が暮れて寒さが一段と厳しくなった吹きさらしの渡り廊下を、首を竦め息を詰めるようにして急ぎながら、ヤンは早いうちに街中に出かけて使い捨てカイロを山盛り買い込んでこなければと思った。生活必需品の殆どが揃うという学校の購買部には、何故か置いていないのだ。明日から始まる試験期間中は昼までの時間割になる。陽射しのある午後のうちに買い物に行って帰ってくる時間は十分あるなと思った途端、足が止まった。

 ―――買い物?……この場所?…………あっ!
 パッ、パッと頭の中で閃いたピースが、パズルの隙間にするりと収まる。
 ここでアッテンボローに買い物に誘われた。あれはいつだった?確か用があって断って。
 内ポケットから手帳を出してページを繰るのももどかしくスケジュール表を確かめる。クラスコンパの幹事を押し付けられて、その打ち合わせで珍しく塞がった休日。
 間違いない。

 彼があの日言った言葉は正確には思い出せなかった。誘われて、断って―――例えば放課後のお茶に暇があれば付き合うといった程度の、気の置けない友人同士、ありふれた日常のひとコマだと捉えていたからだ。誕生日だと聞かされていたなら、もっと心に残っていた筈だ。そんな特別な日の特別な誘いだったならば、何とか都合をつけようと、きっと懸命に考えていた筈だ。
 薄れた記憶の中から、珍しく言い辛そうにしていた後輩の姿が浮かび上がった。あれはそういうことだったのだ。彼の家庭環境も生い立ちも詳しくは知らない。彼がどんな想いで自分に声をかけたのかも解からない。そして、その日を彼がどうやって過ごしたのかも、今となっては尋ねる訳にもいかないだろう。けれども、自分と共に過ごしたいと彼が望んでくれたということ、それだけは確かなことだ。そして、知らなかった、やむを得なかったとは言え、自分は彼のその気持ちに応えてやれなかったのだということも。
 カードを見た瞬間に感じた『言ってくれれば良かったのに』という思いは消えていた。それよりも、まるで信頼を裏切ってしまったような自責の念が込み上げてくる。彼の無邪気な笑顔が目に浮かんだ。どんなにか落胆させ、あの笑顔を曇らせてしまったのだろうと思うと、こんな自分を慕ってくれる後輩のために何かを返してやりたいと、ヤンは心からそう思った。


*  *  *  *  *  *  *  *


 暫くは寒気団が居座るらしく、翌日の試験初日も灰色の雲に覆われた空から今にも雪が降ってきそうな酷く寒い日だった。午前中で終わった後に、いつもどおり先輩たちと一緒にランチと食後のお茶を楽しんで。アッテンボローはヤンから借りた本を手に寮棟に向かってグラウンドを歩いていた。昨日図書館で話していた歴史ミステリーの続きだ。「コイツに夢中になって単位を落とすなよ」と笑いながら釘を刺されたが、先輩の忠告はなかなか的を射ていると苦笑う。部屋まで待ちきれなくて歩きながらなんとなくページを捲り、挟まっていたそれに気付いた。
 折りたたまれた一枚のレポート用紙。最初は先輩のメモか何かが紛れ込んだのかと思ったが、開いてみてアッテンボローはその場に立ち竦んだ。
 少しクセのある手書きの文字。
 『すっかり遅くなってしまったけれど……』と前置きしてあって、その後に続く言葉。

 振り返った。とっくに別れた先輩たちの、うしろ姿すら見えないけれど。
 咽喉元に何かがせり上がってくる気がして、空を見上げた。
 灰色の空が滲んでぼやけて、キラキラと明るく輝いて見えた。
 叫び出したいような小躍りしたいような、温かい気持ちが身体中に広がっていく。
 明日「ありがとう」と一緒に、何と言ってこの気持ちを伝えよう!?
 「先輩の誕生日を教えてください」
 これがいい。きっとこれしかないと思いながら、アッテンボローは弾み出す心のままに駆け出した。


     ―――誕生日おめでとう!
       来年はわたしに祝わせてくれ―――






END
2005/12/12

2005年、アッテン誕生日によせて。
こんなに遅くなってすみません(汗) アッテン、ゴメンね;;


前ページへ                   Storiesメニューへ戻る