閉店時間になって店を出る時には、アッテンボローは当然の如くすっかり酔っ払ってしまっていた。
足元の危うくなった彼に、ラップが肩を貸してフォローしている。そのラップもそこそこ酔っていたので、二人は酔っ払いの定番よろしく肩を組んで蛇行しながら深夜の道を歩いていた。

「へんぱ〜い!ヤンへんぱいっ!俺のぉ、こっち側がぁ、さみしーんれすけろぉ」

空いている右手をひらひらさせながら、アッテンボローが大声でヤンを呼ぶ。その声が静まり返った街にあまりにも響くので、ヤンは酔っ払いを黙らせるべくアッテンボローの右側に並び、彼の腕を担ぐように肩に回させた。やれやれ…気持ち悪いと言い出さないだけマシか、と溜息を吐きながら。

「えへへへ。なーんかいい気分っスねー。ら〜くち〜ん♪」
「おい、コラ!よせよ、アッテンボロー。ぶら下がったら重いだろうが!」
「ちゃんと歩いてくれよ。わたしは支えきれないぞ」
「らってー、ヤンへんぱいは、ちーっとも酔ってないらないれすかぁー。強いっスねぇー」
「わたしだって、一応は酔っているんだけどね」
「だーから言っただろうが!ヤンの酒豪ぶりはハンパじゃないんだ。朝まで飲み比べなんざ、おまえ10年早いんだよ」
「へ?? れもー、10年経ったらー、また10年分、へんぱい強くなるんれしょー?」
「なんだあ?その無茶苦茶な理屈は」
「おまえさんが10年で20年分強くなればいいだろう?その時はわたしが担いでもらうさ」
「任せてくらさい!その時はー、へんぱいをー、おんぶでもらっこれもしますよ〜」
「はいはい。楽しみにしてるよ」

楽しげな後輩の横顔越しにラップと視線を交わしながら、ヤンはこの夜何度目かの溜息を吐いた。早く次の店に辿り着いて、このお荷物を下ろして、ゆっくり座りたいものだと思いながら。
気分よく歩いていた後輩の足が止まったのはその時だった。
「のろ乾いたー。みず、水飲みたい〜」と言う彼の視線の先に、半分シャッターを下ろした商店の前に置かれた自動販売機の灯りが見える。仕方なくそこまで連れて行き、手元が覚束なくてコインを地面にばら撒いてしまったアッテンボローの代わりに、ヤンはそれを拾って投入口に入れてやった。

「アッテンボロー、どれにするんだい?」
「みずぅ〜」
「はいはい」
「あれ?ミネラルウォーターが……売り切れだよ、アッテンボロー」
「ヤン、これでいいんじゃないか?」

ラップが指差したのは、イオン飲料。いわゆるスポーツドリンクというヤツだ。なまじジュースなどよりいいかも知れないと思い、ヤンはそれを買ってアッテンボローの手に持たせてやった。
よほど喉が渇いていたのだろう。道端の塀に凭れて飲み始めたアッテンボローは、呆れるほどの勢いでペットボトルを空にした。尤も、随分零して胸元を濡らしてもいたのだけれど…。飲み終わって満足げに大きな息を吐き、ついでにゲップまでしてふたりの先輩をげんなりさせると、彼は呆けたようにその場に佇んだ。

「少し休んでいくか?」
「そうだな。なんだか肩が凝ったよ」
「全くだ」

視線を向けると、アッテンボローもコクンと頷く。
三人は並んで塀に凭れたまま、しばらく夜空を見上げていた。少し曇っているのだろうか。星のない空に朧に霞んだ衛星が見えるだけ。春の初めのこの時期、夜気は底冷えがするほどでもなく、酔った頬を心地よい冷気で包む。水分も摂らせたことだし、こうして静かに夜気に当っていればアッテンボローの酔いもいくらか醒めるだろう。だが、ヤンとラップに挟まれて同じように空を見上げていると思っていたアッテンボローが、ずるずると滑るように座り込んでしまったのに気付き、ふたりは大いに慌てた。

「お、おい?アッテンボロー!大丈夫か?」
「気持ち悪いのかい?え?アッテンボロー!?」

覗き込んだヤンの前で項垂れたまま、ゆっくりと頭を左右に振る。顔色は悪くない。嘔吐する様子もないが、明らかに先ほどより酔いが回っている風情。それを裏付けるように「目の前が、ぐるぐるする〜」と呟くと、両手で顔を覆ってしまった。

「拙いな。救急車呼んだほうがいいか?」
「いや、どうだろう?意識はあるし、喋れるし、大丈夫だとは思うんだが……」
「らいじょーぶれすー」
「なーにが大丈夫だ。おい、立てるか?」

ラップが腕を掴んで引き起こそうとしたのだが、自力では立ち上がれない。

「おい、どうする?ヤン。こんな状態じゃ、居酒屋なんて入れてもらえないだろ?」
「いくら馴染みの店でも、多分ね」
「どこかで休ませてやればいいんだろうけど…」
「問題は、その場所だな」

こうしていつまでも道端に座り込んでいるわけにもいかない。不審者と間違われて通報されるのがオチだ。無人タクシーを捕まえて寮に帰る手もあるが、外泊届のお陰で門限破りの罪には問われなくても、飲酒の罪に問われるのは明らかだ。コイツお得意の壁越えなど、この状態では無理だし…。終夜営業の喫茶店だって、門前払いされかねない。

「あ!」
「何かいい手を思いついたのか?」
「この近くに公園があっただろう!?多分歩いて2〜3分の距離だ。そこのベンチで夜明かししようぜ」
「いいけど……そこまでどうやって辿り着くか、だな」
「担いで行くか?」
「それは…無理だろう。お互い結構飲んでるんだし」
「タクシー……捕まえるか?」
「いや、待てラップ。ダメもとで……。ちょっと聞いてくる」

ヤンは半分シャッターの下りた店の中へ飛び込んで行った。テントに書かれた名前から、そこはどうやら酒屋のようだった。



ヤンが店の中から異様な音と共に出てきたとき、ラップは流石に目を丸くした。
彼の手に押されているもの―――それは重い荷物を運ぶ時に使う『台車』だった。
確かに2〜3分の距離ならこれで運べなくはないだろう。アッテンボローを両脇から支え、引き摺るようにして台車に乗せる。それだけでも結構骨が折れた。膝を立てて座ったアッテンボローを乗せて、台車は深夜の街に異様な騒音を響かせながら進む。誰にも出遭うことなく目的の公園に辿り着いた時、ヤンとラップは大きな安堵の溜息を吐いた。

適当な場所を探して公園の中を歩くうちに大きな木製のベンチが造り付けられた東屋を見つけ、三人はそこに落ち着いた。アッテンボローをふたりがかりでベンチに寝かせ、ヤンは自分のコートを脱いで上からかけてやる。彼も薄手のコートを着てはいたが、外気の中で眠るには寒すぎるだろう。
そばかすの頬をピンクに染めたままうっすらと口を開けて、くうくうと気持ち良さそうな寝息を立てている後輩の顔を、ふたりして呆れ半分微笑ましさ半分で見つめる。

「コイツって、得な性分してるよなぁ」
「うん。これだけ手を焼かされても、なんだか憎めないね」
「あ〜あ、罪の無い顔しちゃって」

ラップは自分のコートを脱ぐとヤンと一緒に羽織り、ふたりは肩を寄せ合ってアッテンボローの枕元に座った。

「寒くないか?」
「ああ、大丈夫。けど、今ここにブランデーがあったらいいなって思うよ」
「はは。随分酔いも醒めちまったし、寒さをしのげるのにな」
「しかし、なんであんなに急に酔いが回ったんだろうね?」
「う〜ん。スポーツドリンクってまずかったのか?」
「さあなぁ……。聞いたことないから分からないけど…」

後日、クラスメイトから聞いた話では、科学的な根拠も明確な関連性も知らないが、似たような経験をした話は結構あるのだということだった。運動時に素早く吸収されるように作られた飲料が、ついでにアルコールの吸収を急激に促進してしまうのかも知れないと、彼は考えているらしかった。その説が正しいとすれば、翌朝の酔い醒めならいざ知らず、酩酊状態で飲むには甚だ相応しくない飲料だったと言わざるを得ない。飲酒歴もそれに纏わる経験も少ない彼らにとって、これもひとつの失敗を基に得た教訓だった。

「あの台車、何て言って借りて来たんだ?」
「え?ああ。身分証を見せて正直に話して頼み込んだよ。夜が明けたら返しに行く事になってる」
「あと3時間半ってところだな。ゆっくり歩いて帰って。6時過ぎたら宿直の教官もいなくなるだろう?」
「そうだな。少々ふらついていても、自力で歩いてさえくれれば、正門から堂々と入れるさ」
「おまえに挑戦するなんて、無謀というか向こう見ずというか…知らないって怖いな」
「いつでも何でも体当たりだね。宝くじにしたって思い切りがいいし。その若さが羨ましいよ」
「ヤン、爺むさいぞ?ふたつしか違わないだろうが」
「ああ。でも2年前に自分がどうだったか考えると、そんな気がするのさ」
「何にせよ、タダより高いものはないって格言も、あながち嘘じゃないな」
「ははは。まったくその通りだね。でも、彼の言を信じて、わたしは10年後を期待させてもらうよ」
「酔っ払ったおまえを、おんぶでも抱っこでもするって……あれか?」
「そう。倒れるまで飲んでも大丈夫な保険をもらったからね」
「ふふん。おまえが飲んで倒れるなんて、おとぎ話が現実になるより確率が低そうだ」

自分たちの10年後―――
その時に、いったいどこでどうしているのだろう?別々の任地で不毛の戦いを続けているのだろうか?今夜のように顔を揃えて酒を酌み交わす時間を持てるのだろうか?いや、それ以前に……。
普段感じたことのない漠然とした危機感が、こんな時に限って胸の中に広がるのは、この友人達と過す他愛無い時間が、とても幸福でかけがえの無いものだからなのだろう。
それぞれに似たような想いを巡らしながら、ふたりはしばし無言で夜の公園の景色を眺めた。
東屋の正面には池が広がっている。
周囲を巡る遊歩道にぽつりぽつりと水銀灯が灯り、幽かな光を水面に投げかけていた。その道に沿ってたくさんの樹が植えられている。すぐ傍の枝を見ると、びっしりと並んだ蕾が僅かに色付いて膨らんでいるのが見えた。

「桜、かな?」
「うん。多分」
「惜しかったな。10日も後だったら夜桜見物が出来たのに」
「そうだね。またその頃に見に来てもいいさ」
「外泊届を出して、酒瓶抱えて、夜通し花見の宴会でもするか?」

「うんー」

ヤンのものとは違う声に、ふたりは驚いて顔を見合わせ、それから絶妙のタイミングで返事を返した後輩の顔を覗き込んだ。夢でも見ていたのか、それともただの唸り声だったのか、長い睫毛に縁取られた瞼は閉じられたままで、深い寝息が聞こえている。どんな時でもこの後輩は、楽しい計画からは絶対に除け者にされたくないのだろうと思い、ふたりは声をあげて笑った。
786年3月の何と言うことの無い、けれど妙に教訓的な、ある夜のことだった。



End
2005/3/5


知人の体験談をもとに書きました。スポーツドリンクの件は作中にもありますが、科学的根拠・関連性共に、正確なところは存じません。知人の主観に基づくものですので、ご了承ください。


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