「3月13日のプレリュード」



 宇宙歴802年、新帝国歴4年。戦後の惑星ハイネセンでは、樹立したばかりの「自治政府」によって政治と軍事が執り行われていた。名だけは新しくなったが、その実態はイゼルローン共和政府の中心核そのものだった。政治面においては、フレデリカ・グリーンヒル・ヤンがそのトップを担い、軍事面においては、後方事務をアレックス・キャゼルヌが、前線司令をダスティ・アッテンボローが仕切っていた。

 実は、かのアッテンボローは、自身はジャーナリストになる夢を果たすべく、ユリアンが退役したら、それに便乗して自分も退役する気満々だった。だが、未だ軍人稼業から足を洗えずにいたのは、腐れ縁と諸処のしがらみがそれを許さなかったからで、決してその立場を嬉々として受け入れたわけではない。イゼルローンで培われた(本人の言葉を借りれば、培って「しまった」)艦隊司令官としての経験と信頼が、追い討ちをかけたようなものだった。大将昇進というもっともらしいオマケをつけられて、ハイネセンを守る「自治政府軍」の艦隊司令官として、ちんまりと収められた次第である。

 そして、イゼルローン共和政府と銀河帝国との間に講和が結ばれてから、季節が一巡しようとしていた3月。それはアッテンボローが、彼にとってはいささか迷惑なその役職と地位を、何とか納得して受け入れ始めた頃だった。

 キャゼルヌ家、夕食後のひと時。
 すべては夫、アレックス・キャゼルヌが漏らした何気ない一言に始まった。
「ああ、やれやれ。困ったものだ」
「あら、どうなさったの?」
「いやぁ…」
「そのお顔は、大方また"伊達と酔狂"に翻弄されているとでもいったご様子かしら」
「…分かるか?」
「分かりますとも。何年あなたの妻をしていると思って? 今度は何? おっしゃって御覧なさい」
 妻のこの手の台詞には、不思議と逆らえない夫である。
「いや、何、アッテンボローをな…。元帥に昇進させろというお達しがあってな」
「あら、それは大変!」

 一も二もなく、妻がそう返したのには、訳があった。実は数ヶ月前、アッテンボローが大将に昇進するやしないやで、ひと悶着あったばかりなのだ。アッテンボローが艦隊司令官としての役職を引き受けるまでには、打診から1週間の時間が必要だった。だが、これはまだマシな方で、艦隊司令官着任とセットで持ち出された大将昇進の話については、何と1ヶ月以上のすったもんだがあったのである。アッテンボローの言うには、

『そもそも俺は、自由惑星同盟の中将であったわけだ。自治政府から地位をもらうのなら、二等兵からやり直させてもらわなければ、話が合わない。それでも将官にするというなら、先に自治政府軍の士官学校に通わせてもらいたいものだ』

との理屈。まあ、これは理屈と言っても"屁理屈"の類いであった。ここで嬉々として昇進を受け入れては、地位や名声の類いを最も嫌う「伊達と酔狂」の御仁たるアッテンボローの面目がつぶれてしまう。彼には自らの"誇り"を守るために、最終的にはどうであれ、昇進を「イヤイヤ」受け入れたというポーズが必要だったのである。忙しい中、この騒動に振り回され続けた自治政府のお偉方にとっては、実に迷惑はなはだしい「ポーズ」であったに違いないが、ともあれ、アッテンボローは打診より1ヶ月きっちりの日を経て、ようやく首を縦に振ったのである。

「また1ヶ月くらいかかるのかしら? いえ…。前回は大将、今回は元帥への昇進だから、2ヶ月くらいかかるかもしれないわね」
「冗談じゃない。あいつの"伊達と酔狂"ごときに、そんなに振り回されてたまるか」
「まあまあ。アッテンボローさんから"伊達と酔狂"をとったら…」
「たいしたものは残らないだろうな」
「そこまでおっしゃいますの。まぁ、相手がアッテンボローさんなら、その"伊達と酔狂"を逆手に取ることね」
「何? 何かいい策があるのか?」
「ええ。昇進の日を3月13日にする。それだけよ」
「何だって?」
 それはイゼルローンの『陰の実力者』と呼ばれた"白い魔女"が再び君臨した瞬間だった。

 翌朝。
 執務室でごくごく勤勉に仕事をしていたアッテンボローのデスクで、ヴィジフォンの呼び出し音が鳴った。アッテンボローが通信をつなぐと、画面に現れたのは、アレックス・キャゼルヌその人だった。
「お、アッテンボロー元帥殿。真面目にお仕事の最中でございましたか」
「はっ? 誰が元帥だと? …まさか!!」
「まぁまぁ、落ち着け」
「これが落ち着いていられるもんですか!! まったく、本人に一言もなく…」
「だから、今からまさにその一言を告げようとしているんじゃないか」
「…って、本当にそのまさかなんですか?」
「ああ。お前さんの元帥昇進を、上から打診された」
 あっさり言い放つキャゼルヌの言葉に、アッテンボローはやや投げやりな態度で答えた。
「断って下さい。俺はもう、昇進なんかしたくありませんよ。キャゼルヌ大将だって、俺の昇進騒ぎのゴタゴタに巻き込まれるのは、流石にもう御免でしょ?」
「まぁ、な。確かに多忙な中、お前さんの身勝手な騒動に巻き込まれるのは二度と御免だ。だが、今度は騒動になんかならない。お前さんが昇進を引き受けるよう、シナリオは出来ているのさ」
 自信たっぷりに言うキャゼルヌの表情を、アッテンボローは白々しく見つめた。
「何を言ったってダメなものはダメですよ」
「いいから、聞け。アッテンボロー、お前さんの元帥昇進の辞令が出るのは何時だか知っているか?」
「さあ、そんなこと知るもんですか」
「だろうな。お前さんが昇進するのは3月13日。で、翌日3月14日に、アッテンボロー"元帥"閣下の初仕事が予定されている。3月14日が何の日か、分かるか?」
「まさかホワイトデーって言うんじゃないでしょうね?」
「あのな。いいか? 3月14日ってのは、帝国の人間なら1歳の子供でも知っている記念日だ。故ラインハルト・フォン・ローエングラム、すなわちローエングラムI世のお誕生日なんだよ。今年のローエングラムI世誕生記念式典には、元帥に昇進したお前さんが自治政府軍の代表として出席する予定となっている」
「それとこれとがどう関係するんです?」
「実はな、先日、銀河帝国摂政のヒルダ様と非公式に話したんだが…」

 そしてヒルダがキャゼルヌに話したという内容が明かされた。曰く…

「今度のローエングラムI世誕生記念式典に、自治政府軍から何方かは出席されるのでしょうが、それが誰であっても、私が一番出席して欲しい方とは違うのです。ヤン・ウェンリー元帥、彼にこそローエングラム陛下のお祝いをして欲しかった…。出来ることならお二方ともご健在のまま」

と。

「それも、いたたまれないくらい、寂しそうに話されるんだ。それを見て俺は思った。若くして、背に銀河帝国とその皇帝たる幼子を負うことになった、美しくも悲しき未亡人の願いに少しでも近づけるのなら、どんなことでもして差し上げるべきだろうとな」
「でも、ヤン元帥にご出席頂くことは、どだい無理な話じゃありませんか」
「そこでお前さんの出番なのさ。ダスティ・アッテンボローは、ヤン・ウェンリーにとって信頼できる部下であったし、何よりダスティ・アッテンボローはヤン・ウェンリーに心酔しきっている。そんなお前さんが、ヤンが生涯最後についた地位であるのと同じ元帥という立場として臨席することは…」
「つまり俺は、ヤン元帥の代理ということですか」
「ああ、その通りだ」
 アッテンボローはキャゼルヌの言葉に、小さくため息をもらした。
「キャゼルヌ大将も、相変わらず姑息ですね。ヤン・ウェンリーの名前を出されたら、俺が断れないことを知って…」
「だから言っただろう? シナリオは出来ている、と」
「このシナリオは、大将の作じゃありませんね」
「はは、分かったか」
 キャゼルヌは、笑って返すしかなかった。
「で、どうするんだ?」
「いいですよ。14日、出席させて頂きましょう。でも、ヤン"元帥"の代理は嫌です」
「え? じゃぁ…」
「ヤン"元帥"の代理ではなく、ヤン"先輩"の代理として。ヤン・ウェンリーとダスティ・アッテンボローは、士官学校時代から長きに渡り、先輩後輩の仲だったはずですから」
「そうか…」
「ご心配なく。ヤン・ウェンリーの名前を出すことを提案した"白い魔女"に免じて、昇進の件は受けますから」
「そこまでバレていたとは、恐れ入ったな」
 そして和やかな空気の中、通信は終わった。


 3月13日。
 ダスティ・アッテンボロー。元帥に叙される。

 3月14日。
 ヤン・ウェンリーの代理として、ダスティ・アッテンボロー元帥、式典に臨席する。

 すべて無事滞りなく、事は済んだとのことである。


 なお、摂政ヒルダの言は確かに本物であったが、それは「アレックス・キャゼルヌとの非公式な話し合い」ではなく、"白い魔女"が女性週刊誌で読んだ「皇室ネタ」だったそうである…。




管理人よりお礼とコメント:
【星の海を仰げば】 雪姉さまより、拙宅開設祝いに頂戴いたしました。
ヤンの名前を出されて、昇進を受け入れるアッテン。その時彼はどんな顔をしていたのかと思うと、なにやら笑みが零れます。「ヤン元帥」の代理ではなく「ヤン先輩」の代理と言った彼の言葉に、ひとりの人間として先輩としてヤンを慕う親愛の情が溢れていて、亡くなっても彼を支え続けているのだなあと、しみじみ感じました。キャゼ夫妻の相変わらずの様子、白い魔女の健在ぶりも魅力的で、思わずニヤリ(^^) ほんわりと温かな気持ちにさせられる素敵なSS。それに、拙宅の開設日に合わせたエピソードで本当に嬉しかったです!
雪姉さま、産休(?)明けの本格復帰第一弾を頂戴して、とても光栄です。お忙しい中どうもありがとうございました!!




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