花菱草


 ハイネセンに戻ってから、ユリアンは熱を出した。
「頑張ったご褒美に休みなさいってことよ」
 そう言っていたカリンだったが、高熱が三日も続くとさすがに不安な顔で、寝ずの看病にあたった。そのおかげかようやく昨日、ユリアンはベッドから出られるようになった。
 ユリアンの仮住まいは、ヤンと一緒に暮らした最初の家があった、ホワイトブリッジアヴェニュの近くだった。
 ルビンスキーの大火で激しく焼けただれた首都区一帯は、大規模な戦後の再開発のただなかにある。かつてのホワイトブリッジ街も対象に含まれていた。
「カリン、外はどう?」
「今日は昨日より寒いわよ。春って言ってもまだ三月ね、あったかくなったと思ったらすぐこうやって、また寒くなる」
「雨は降ってないみたいだね」
「ええ、曇ってるけど、ユリアン? まさか外に行くつもり? だめよ、風が冷たいから」
 ユリアンは部屋着を着替える手を休めずに返事した。
「ちょっと、外の空気を吸いたくなったんだ。部屋で篭った空気を吸ってばかりだからさ」
「だけど、ほんとに、またぶり返すわよ」
「大丈夫、もう昨日から熱は完全に下がってるじゃないか」
「でもそんな声して」
 ユリアンはシャツとセーターまで着終えて、上着を探した。いちばん手前に掛かっている軍のジャケットをみつけて、それを羽織ろうとする。
「だめ! そんなんだから風邪ひくって言ってんのよ! もう、表に出るならこっちよ」
 カリンはクロゼットの奥からぶ厚いダッフルコートを出してやった。
「それからこれも」
 マフラーと手袋。それに帽子。
「・・・スキーに行くんじゃないんだから」
「着なきゃ出してあげないわよ」
 カリンの剣幕に、ユリアンはしぶしぶマフラーを巻いた。
「てことは、君も行くの?」
「もちろん。悪い?」


 なつかしいシルバーブリッジの官舎街は、影かたちもない。
 さら地になった赤い地面に、ほぼ等間隔で、しょぼしょぼと痩せた雑草が生えている。工事作業は休みなのか、ショベルが乗り捨てられたように留まっている。広大な土地に、夕暮れが影を落としていた。
「四月から本格的な工事ですって。モノレールを通すみたい。このあたりに一つ、駅を作るんですって」
「じゃあ、このまま今のうちに住んでれば、ずいぶん便利になるね」
「でも完成は二年後よ。それまでいるつもり?」
 自分にいるつもりがあるかどうか以前にユリアンの場合、いられるかどうかが問題だった。別のところに住む可能性なんていくらでもある。ひょっとしたら、ハイネセン以外の星に行くことにだってなるかもしれない。
「・・・偶然の休暇、か」
「なに?」
「なんでもないよ」
 住宅用に整地された平地の端、削り取られた斜面に、絨毯のように這っている小さな白い花。よくある雑草だ。この花が咲いたということは、もう春はたしかに来ているのだ。
「あら、珍しい」
 つぶやいたカリンの視線を追うと、斜面のとちゅうの窪から黄色い花菱草が一株だけ、ひょろりと首を伸ばしていた。
「一輪だけじゃ、さびしいわね」
 まわりの雑草に養分を吸い取られたのか、見慣れた姿の半分ほどの丈しかない花は、和紙のような花弁にもろに風をうけて激しく揺れている。
「ちぎれちゃいそうだ」
 自分の頬にも冷たく当たる風の圧力を感じながら、ユリアンは思ったことを口にした。
「ねえ、ユリアン」
「なに?」
 カリンは少し離れたところに別の株を見つけて、その前にしゃがみこんでいた。
「春になっても、風が冷たいと花はわかるのね」
 ぴったりと葉をロゼット型に地に張りつけた、赤い花菱草が一株、うずくまるように咲いていた。
「下を向いて、凍えてるわ」
「・・・そうだね、春が来たっていっても、寒い日が続くんだ」
 夕暮れの風が冷たくなくなる日まで、この花はもちこたえるだろうか。それとも、明日には掘り起こされて、どこかの土山に投げ捨てられて埋もれているだろうか。
 この土地に再び家並が建ち、景色は変わっていく。たった一株の花のゆくえは、きっと誰もしらない。ユリアン自身だって。
「希望」
「え?」
「花菱草の花言葉。希望っていうのよ」
 カリンの言葉を聞いた途端、その貧弱な花が自分のように思えた。強い風に乱された髪を腕で包むようにして彼女が立ち上がる。
「ねえ、ユリアン」
 答える代わりに、ユリアンはカリンへと歩み寄った。
「もどってきて、よかった」
「泣くなよ」
「泣いてなんかないわよ!」
 涙交じりの声で言い返すカリンを、ユリアンはそっと後ろから抱きしめた。



おまけ
3月25日の誕生花:花菱草〔=カリフォルニア・ポピー〕(希望)その他、アルストロメリア(援助、持続)ツル性植物(縁結び・束縛・美しさ)など




管理人よりお礼とコメント:
こちらは【PRIS☆MITE】のprismennさまより、VD企画への参加お礼として頂戴したものです。
多くの掛け替えのない人を亡くしながら激動の時代を生き抜いた彼等。帰って来た懐かしい場所は失意に追い討ちをかけるように様変わりして…。逆境の中、それでも懸命に咲き続ける小さな花に重ねた彼等の想い。花菱草の花言葉のように、希望を失わずに生きて欲しいと、彼等の未来が希望に満ちているようにと願わずにいられませんでした。
管理人のとんでもない危険物に、こんな素敵な作品を頂戴して、あまりの申し訳なさに頭があがりません。
prismennさま、本当にありがとうございました!



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