■ 風と空気のoverture ■ 士官学校の敷地裏手側には開校当時から楡の木がそびえ、その楡は今まで何度と無く門限破りの 候補生たちを救ってきた。何故ならその身に生い茂る葉は巡回の目の死角となり、候補生達の忍び 込む手助けとなっていたから―― けれど運悪く見つかってしまう候補生も何人かいて等しく皆教官のお小言を頂くこととなるのが 常であったが、見つかってしまってもそれでも尚、運が良い候補生が一人いた。 そう、あれは去年の10月の頃だったろうか―― +++ 一人の士官候補生が日頃の抑圧された環境での鬱憤を晴らそうと街に繰り出し、お遊びが過ぎて 気がつけば門限の三十分前。急いで走って来たようだが学校の塀が見えた頃には門限はとっくに過 ぎていて、「彼」は舌打ちしながら父親がくれた「幸運を呼ぶ鍵」を握り締めた。こうなると当然 の事ながら正門、裏門からの出入りは自殺行為。余り人目に立たない裏手側の塀を乗り越えて、巡 回の目を掻い潜って寮に戻るしかない。 けれど夜空は晴れ上がり月が明るいという、いくら死角があるとはいえ忍び込むにはとても最悪 な状況。運に見放されているとしか思えなかった「彼」は、自分が一番悪いのだという事を棚に上 げて、何の罪も無い、あの綺麗な月に心の中で悪態を付いた。 (ああ〜〜もうっ。隠れろ月!頼むぞ、親父の鍵――「幸運を呼ぶ」んだろ!) 息も絶え絶えにようやくの事で塀に辿り着くと、余程運がいいのか、それとも「彼」の父親がく れた「幸運を呼ぶ鍵」が効いたのか、私を照らしていた月が雲に隠れた。けれどゆっくりとはして いられないような余り大きくはない雲で、それが「彼」の焦りを誘い、周りを窺う余裕をなくさせ た。 (ちっ。中途半端な効き目だな!間に合うか――?) きっ、と塀の上を見据えて「彼」は塀を縦横無尽に埋め尽くす蔦を手探りによじ登った。しかし 後は敷地内に降りるだけというその時、一筋の閃光―― (うわ、まぶしっ!!ヤバ、見つかった!) 巡回の候補生が持つライトの光で「彼」は一瞬視界を失ったようだった。隠れていた月も少しず つ顔を出し、再び私を、「彼」を、巡回の候補生を仄かに照らし出す。するとライトで照らす必要 がなくなったと判断したのだろうか、巡回の候補生は自らが持つライトを下げた。そしてようやく 違反者である「彼」は、巡回の候補生の学年章をちらりと垣間見ることが出来たのだ。 (三年…か、サイアク――) 相手が上級生では「見逃してくれ」とは到底頼むことは出来ない。「ならば何時までも塀の上に いたって状況は変わらない」と判断し、いざ塀を降りようと「彼」が眼下を見下ろした丁度その時 だった。「彼」は自分を見つめる漆黒の瞳に釘付けになった。 穏やかな、小さな宇宙がそこにあった―― 「何をしているんだい?早く降りて来なさい」 「あ。す、すいません…」 慌てて「彼」が塀の上から降りると、とても三年生には見えない上級生がこれまた候補生らしか らぬ、長めで瞳と同じ漆黒の髪をかき混ぜながら呟いた。 「ったく――面倒臭い事を…」 (め、面倒臭いって――言うか、普通?) するとその上級生はくるりと踵を返し背を向け、違反をした「彼」を置いて立ち去ろうとした。 「え?あ?ちょ、ちょっと――」 教官達に報告されると思っていた「彼」は、いきなりの上級生の行動に呆気に取られてしまった ようだ。一体どういうことなのか?慌てて追いすがろうとしたその時、建物の向こうから立ち去ろ うとする上級生に呼びかける声が聞こえてきた。 「おい、ヤンっ――そっちは…」 「ああ、異常なし――今、そっちに戻るよ」 (見逃してくれた――?) 呆然と立ち尽くしているとそんな「彼」に気がついた「ヤン」と呼ばれた上級生が手振りで「早 く行け」と言っていた。私が「ヤン」と会うのは今回が初めてではないが、初めて見た時も少しば かり変わっていると思った。そして今も「ヤン」は違反者を見逃そうとしている。長い事「ここ」 に居るが、こういう候補生を見たのは初めてだった。大抵の候補生は点数稼ぎで教官に報告し、さ も自分は優れているのだと主張したがる連中が多いのに―― どうやら見逃してもらった違反者の「彼」もまた、私と同様の思いを持ったらしい。 (変わった奴――) そして何事も無かったように巡回へと戻って行った「ヤン」の後姿に後ろ髪を引かれつつ、折角 見逃して貰ったのだからと「彼」は自分の寮の方へと急いで走り去った。 これが彼らの最初の邂逅だった―― +++ その日の夜、「彼」は寮の自室のパソコンで学内名簿をチェックし、「ヤン」と呼ばれた候補生 について調べていた。昨今情報化がますます進み、どの科の候補生も等しく情報処理の講義を必須 として受けることとなっている。その過程の中で「ホームページ」なるものを各自作り学内のみだ が公開しているようだ。まあ、私には何をしているのか皆目見当もつかんがね。 最低限指示された項目を盛り込まなければ単位として認められないのもあって、どの候補生も面 倒ながらもそれなりにこなしつつ、中には更に上位の評価を得ようとかなりこだわって作成してい る候補生もかなり存在した。なのでその作成した「ホームページ」の内容次第では、その作成人物 の「人為り」が垣間見える事ケースがあるのだ。 そして「ヤン」という人物を調べようと、「彼」はまさにその「ホームページ」を見ていたので ある。 (こりゃ、まぁ…見事に必要最小限しかやっていないなー) というのが、「彼」が「ヤン」のホームページを見た率直な感想だった。これではどういう人物 か感じる事も調べようも無く「彼」はひょいと肩を竦めて「ヤン」のページを閉じた。けれど「ア クセスしたついでだし」と別の候補生の「ホームページ」を開いて見て廻っていたところ、思いが けず「ヤン」という単語に出くわした。 (ん――?) この「ホームページ」の作成者はどうやら在学中における戦略シミュレーションの対戦の組合せ と結果を自分なりにまとめ、かつ講評しているようだった。全てではない。どうやら作成者の興味 をそそる対戦をまとめたようだった。「彼」はその講評一覧の中に「ヤン」を見つけたのである。 その成績は「全戦全勝」であった。 (マジ?) 引き込まれるように「彼」はシミュレーションの結果と講評に目を通した。対戦相手が教科書通 りに定石通りに作戦を立案しシミュレーションするのに対して「ヤン」の作戦の奇抜な事。どうや ら「彼」は「ヤン」の常識を覆すようなアイデアとそれを実行する度胸、時折見られる外見からは 想像できない、冷徹とさえ感じられる指揮振りに急速に惹かれていったようだ。それこそ夢中にな って、夜が白んできたのにも気がつかないぐらいページを読み漁っていた。「ヤン」の作戦シミュ レーションも見事なものだったが、それを的確に分析、講評しているホームページの作成者の構成 力も大した物だったと言えよう。 特に、学年主席ワイドボーンを破ったシミュレーションには舌を巻く思いで――外見と中身がそ ぐわない、「ヤン」のそのギャップに「彼」は激しく興味を覚えた。 そして、既に朝になって太陽が完全に顔を出した頃には「彼」は一つの決意を胸に秘めていた。 (この人の事をもっと知りたい――もっと、もっと!) 「おい、アッテンボロー。朝食にいかねぇの?」 「彼」こと「ダスティ・アッテンボロー」の同室者が扉から顔を覗かせて声を掛けてきた。 「ああ、今行く!」 自分を見上げていた、吸い込まれそうな漆黒の瞳―― (ああ、行くとも…行って、あの人を探さなきゃ――) そうして「アッテンボロー」は急いで身支度を整え、自室を飛び出して行ったのだった。 +++ 「おーい、ヤン。起きているか?」 眠そうに食事を突付く「ヤン」を、向かい側に座った金髪の候補生がからかい混じりに声を掛け た。 「眠い――」 からかわれた事が不愉快だったようで、「ヤン」は相手を睨み付けた。しかし寝不足の顔で睨ま れても屁でもないと言うように、相手は人の悪い笑みを浮かべ更に質問した。 「で――昨夜、何調べていたんだ?」 「…ちょっと、気になることがあってね」 「大抵の調べ物は図書館でするお前が、苦手なパソコンを使って、何を、調べていたんだ?」 ワザと、大袈裟に区切りながら話す同室者に「ヤン」は少しイラつきながら返事を返した。 「うるさいな。私が何に興味を持って調べようと、ラップには関係ないだろう」 そう言う「ヤン」にひょいと肩を竦めて「ラップ」と呼ばれた同室者は、パンを一千切り口の中 に放り込んだ。 「お前が、苦手なパソコンを、使うにあたって、んぐ。――俺はかなり貢献したと思うんだが?」 パンを頬張りつつ「ラップ」は言外に「俺にも知る権利あるだろう?」と主張。「ヤン」は溜息 をつくとぼそりと口を開いた。 「――ちょっと、気になる奴がいてね。ただ、それだけさ」 「ああ、それで課題をやった時以来開いていない『ホームページ』を見ていた訳か――」 「そういうこと」 「ふーん…お前が誰かに興味を持つなんて珍しいな」 「そうかい?」 「ああ」 (何となく、気になっただけさ――) そうして「ヤン」は夕べ偶然にも見つけてしまった、塀をよじ登り忍び込もうとしていた門限破 りの一年生を思い出していた。巡回していたあの時、微かな物音に反応して「ヤン」がライトを向 けその先に居た「彼」――顔を眩しそうに顰めるのが見えたのと、月が顔を出して明るくなりつつ あったことから、「ヤン」はそっとライトを下げたのだった。 「ヤン」はライトの光を直接当ててしまったことから、「彼」が無事に塀から降りられるだろう かと見ていたら、ふいに目が合った。綺麗な青灰色の瞳と―― (印象的な瞳だったな――) 巡回を終えて自室に戻った「ヤン」は同室の「ラップ」に教えて貰いつつ学生名簿をパソコンで 検索し、ようやくのことで例の「門限破り」を見つけた。巡回の時は暗くて良く分からなかったが 「そばかす」が散った、まだ少年さが抜けきらない顔立ちの少年。 そして「彼」の名前―― (ダスティ・アッテンボロー、か――) そして名簿からのリンクで開いた「アッテンボロー」の「ホームページ」を一通り眺めていた時 「ヤン」はある項目に呆気にとられた。 「ホームページ」を作成するにあたり、自己プロフィール欄を各自設けることになっていた。「ヤ ン」は面倒臭がって学生名簿そのままを載せていたが「アッテンボロー」はその中に「座右の銘」 を載せていた。その「座右の銘」というのが―― (「それがどうした!」――これって、座右の銘なのか?) 自分の事を棚に上げて「ヤン」は「アッテンボロー」に対して「変った奴」と感想を抱いたのだ った。 「で、何処の誰だか俺は知らんが、調べてどうする気なんだ?」 「いや、別に――」 (どうするって訳じゃないけど――) その時、「ヤン」は横から突然声を掛けられた。 「あのー…すいません。ヤン先輩?」 「ヤン」は驚いて声がした方を向くと、夕べとうって変わって陽の元に立つ「アッテンボロー」 の姿が目の前にあった。「ラップ」は不思議そうにいきなり現れた一年生を眺めつつ、けれどふと 合点がいったような表情をし、「ヤン」は突然の登場に驚きつつ声を発した。 「――ああ、昨日の…」 「俺、戦略研究科の1年ダスティ・アッテンボローと言います。昨日は見逃してくれてありがとうご ざいました!」 と、「アッテンボロー」は実に爽やかな笑顔で、一気に自己紹介と夕べの礼を言った。 (もう名前、知っているよ――) 「別に、礼を言われるようなことはしていないさ」 「ははぁ〜。お前、門限破りを見逃がしたな」 「そういうこと」 「どうせお前のことだから、『報告するとかえって面倒』とでも思ったんだろう?」 「――好きなように解釈すればいいさ」 二人のやり取りに半ば呆然としている「アッテンボロー」に気が付いた「ラップ」が彼に向き直 って声を掛けた。 「気にするな、アッテンボローとやら。こいつ、本当に面倒なだけだったんだ。礼なんぞ言わんで もいい」 「は、はぁ――」 「ラップ!」 「事実だろうが。あ、俺、ジャン・ロベール・ラップ。コイツの同室者。よろしくな」 と、「ラップ」は二本指で軽く空を切るような軽快な敬礼をし、慌てて「アッテンボロー」はぺ こりとお辞儀を返す。 「初めまして。こちらこそよろしくお願いします」 すると今度は「ヤン」が穏やかな微笑と共に右手を差し出した。 「改めて――。同じく戦略研究科の3年のヤン・ウェンリー。よろしく、アッテンボロー」 「よろしくお願いします!」 (もっと、貴方のことが知りたいです――) さっきとはうって変わって「アッテンボロー」は差し出された右手を嬉しそうに握り返した。 一度目は偶然、二度目は必然―― 二人(いや、三人?)のこの出会いはどういう関係を作りあげるのだろう?と、随分と長い間暇 だった私にもどうやら興味を持てる「対象」が出来たようで。しばらく退屈しなくて済みそうだと 私はこの時感じたのだった―― あれから数ヶ月が経った今―― 二人の間に確かに流れはじめた波動 見えないけれども確かな波動 この感じは――中々に心地良い波動だ… 若干、前途多難な気がしないでもないが、まぁそれも微々たる物だろう あの日、私がそびえる場所で出逢った二人 彼らが「ここ」を巣立つまで この場所から見守っていようじゃないか―― Fin. 2005.1.22 …+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+…+… 管理人よりお礼とコメント: chizuさま宅SS館で4000打キリリクとしていただきました。 先にご覧いただいたイラストの緊迫感が続いている感じといい、「楡の木」という第三者(?)視点の新鮮さといい、とてもステキな作品!!作者様のコメントによりますと… 「壁越えで出逢ったふたりのその後ということで、初めての出会いから2度目の出会いまでを書いてみました。 題名どおり『序曲』なので『本編』があります。ふたりの間がどのように進展するのかは、書いてみないとわからない〜♪」 とのことでした。続きがすっごく楽しみ!! わくわくしながら待たせていただきたいと思います。 chizuさま、ステキなイラストとSSの連作をありがとうございました! 壁越えイラストへ戻る Treasureメニューへ戻る |