中空のクリスマス 壁に掛けられた時計の針が、午後7時半を示している。 普段ならまだ執務中の者も多いこの時間も、さすがにクリスマスイブともなれば話は別。 統合作戦本部ビル内のガランとしたオフィスの中、ヤンはひとりデスクで残業しているフリをしていた。 給料分以上は働かない主義なのにこんな真似をしているのは、部下でもある後輩にひたすら懇願されたから。イブの夜にホテルのスカイラウンジで乾杯しようと誘われた時、周り中をカップルに囲まれて浮くのは嫌だと断った結果が、どうした訳か、これだ。 その後輩は自分を置いて、定時になったとたんにオフィスを後にしていた。 「後で迎えに来ますから」という言葉と意味ありげな笑顔を残して…。 「アッテンボローのヤツ、まったく何を考えてるんだか…」 ヤンが何度目かの溜息とともにそう独りごちた時、ドアが開いてその後輩が顔を覗かせた。 「先輩、……もうみんな帰りましたか?」 「遅いぞ、アッテンボロー。とっくにわたし独りだよ。」 「すみません、お待たせして。さあ、行きましょう!」 「行くって、どこへ!? だいたいおまえねえ、何考えてるんだか知らないけど、わたしに要らぬ残業をさせておいて、ひとりだけ―――」 「はいはい、すみませんでした。後でゆっくりお聞きしますから、とりあえずここを出ましょう。ね?」 憮然とした表情のヤンに宥めるように微笑みかけながらアッテンボローが連れ出した先は、意外にもこのビルの53階にある『休憩スペース』。地上55階地下80階建てのビルの中、数フロアごとに設けられているその場所の内で最上階にあるものだった。 大きく開けた窓に向けて設えられたカウンター、フロアに置かれたテーブルと椅子の他は飲み物の自動販売機があるだけの空間だが、先月半ばからは大きなクリスマスツリーが仲間入りし、息抜きに訪れる者たちの目を楽しませていた。 イブのこの時間にさすがに利用する者はなく、消されていた照明を点けると、アッテンボローはカウンターの隅、入口からはクリスマスツリーと観葉植物の陰になる席へヤンを導く。そこにはワインと軽食が並べられたささやかな酒席が用意されていた。 「あ、アッテンボロー…これって……?」 「ええ、これの準備に一度家に帰ったんです。 先輩、ちゃんと椅子に座っててくださいね。」 そう告げると、アッテンボローは身軽に踵を返して入口に向かう。呆然としながらもヤンが言われるままにカウンターの椅子に座った時、突然照明が落とされて辺りは闇に包まれた。 驚いて声を上げようとして―――次の瞬間、息を呑む。 ぼんやりと浮かび上がる街の灯り。暗がりに目が慣れるにつれて徐々にきらめきを増して膨らんでいく、眩いほどの光。クリスマスのイルミネーションが加わって普段より数倍鮮やかなそれは、遥か遠くまで続いてハイネセンの街を覆いつくす。 地上200m―――中空に浮かぶ場所からの圧倒的な眺望に、暫し無言で見惚れる。 背後から近付く足音が聞こえて、両肩に手のひらの温もりを感じた。 「光の洪水…だな」 「俺、この間見て感動して…そしたら、先輩に見せたくなっちゃって…」 照れ隠しのようにヤンの肩をポンと叩いて離れると、アッテンボローはグラスにワインを注いだ。 「さあ、食べましょう先輩。おなか空いたでしょう?」 「うん。でも、このままじゃ暗すぎないか?せっかくのおまえの料理がもったいないよ。」 「大丈夫です。今、とっておきの照明を点けますから。」 無数の小さな電球を全身に纏った高さ4m近くもありそうな樅の木が、ふわりと光る。 飾られたオーナメントがキラキラと輝き、透明な電球の瞬きと共に辺りに柔らかな光を投げかけた。 軽く触れ合わせたグラスの中で、ワインの波もゆらゆらと金色に揺れている。 街の灯りとツリーの灯りを眺めながら、アッテンボロー手製のサンドウィッチとつまみに舌鼓をうち、冷えた白ワインの喉越しを楽しんで。時間はゆるやかに流れていく。 「アッテンボロー?どうかしたかい?」 じっとツリーを見ている後輩に声をかけると、彼は視線をそのままに、穏やかに微笑みながら言った。 「いえ、……こういうのって、なんか平和だなーって思って……」 その夢見るような横顔がヤンを幸せな気分で満たす。なぜかツリーの輝きよりもずっと眩しく暖かく。 「あの街の灯りひとつひとつの下で、みんな似たようなことを感じているんだろうか?」 「きっとそれぞれの大切な人と一緒に、幸せな時間を過ごしていると……思いたいですね。」 「うん……」 ―――温もりを増したように見えるあの灯りの中に溶け込みたいと、不意にそんな気分にさせられた。 「どうしても……先輩と一緒に過ごしたかったんです。去年のクリスマスはエコニアから帰還の途中で、先輩いなかったでしょう?……だから。」 エル・ファシルの時もエコニアの時もおまえはわたしを出迎えてくれて、ほっとしたように微笑んだ。 その笑顔が、帰って来たのだと実感させてくれたこと―――覚えている。 この夜に特別な思い入れはなかったけれど、今ならおまえの気持ちが少し解るような気がする。 アッテンボロー、もう一度乾杯しよう。 昨年よりも少しはマシで平凡だったこの年に。 漆黒の宇宙で冷たい星の光に囲まれるよりも、中空で温かな街の灯りに包まれる、この心地良さに。 そして―――たとえ束の間の平和でも、おまえと一緒に穏やかな時間を過ごせる、この幸せに。 「行こう、アッテンボロー。 次の店は、わたしの奢りだ。」 街の灯りを目で指し示しながら、ヤンは楽しそうに後輩を誘った。 2004.12.3 End 【Resonance】さま2004年クリスマス企画に参加させていただいた作品です。 chizuさまが描かれたお題のイラストにSSをつけるというものでしたが、拝見したとたんにイメージがパッと湧き上がったのを覚えています。深いブルーの濃淡で情感たっぷりに表現されたシーンに、椅子と植物でさりげなくクリスマスカラーのアクセントが施された美しいイラスト。参加のお土産にいただいてしまいました!猫じゃらしで猫を釣った気分〜♪初めての企画参加という経験と共に、とても嬉しい記念になりました。 chizuさま、どうもありがとうございました!! Storiesメニューへ戻る |