卒  業



 787年6月下旬、梅雨時の名に違わずしとしとと雨の降るその日、同盟軍士官学校ではこの年の卒業式が挙行されていた。入学と同時に候補生となった彼らが四年間の課程を終え、二月余りの後には正式に職業軍人として任官していく。その節目となる式典が心情的に壮行会に近いものだということが、延々と続く来賓や軍関係者の祝辞の中に、彼らの卒業を祝う言葉よりも激励や戒めの言葉が多分に含まれることで窺える。
ヤンは会場の一角でその代わり映えのしない祝辞を右から左に聞き流しながら、それでも巣立っていく者に相応しく、この四年と少しの間に想いを馳せていた。



宇宙船の中で限られた人数の、それも大人ばかりに囲まれて育った自分にとって、初めて経験することだらけの日々だった。
物心ついてからこんなに長く地表で、しかも一所に腰を据えて生活すること。
学校という社会に属すること。大勢の同年代の者たちとの交流。親元を離れての集団生活。
大多数の人間が、人生のステージが進むにつれ少しずつ経験していくだろうことを、一度に体験した。親元を離れることはそれ以前から決めていたとはいえ、こんな形になるとは思いもよらなかった。

あの事故で父を――最後の肉親を亡くした。 
同時に家族同然に暮らしてきたクルーたちとも別れた。
父の遺した骨董品が一文の価値もないガラクタだと知れたとき、経済的な基盤を失った。何よりもまず衣食住を確保せねばならず、哀しみに暮れる時間も自分の境遇を嘆く余裕もなかった。
そうして選択肢も持たずに飛び込んだ生活。
悲愴感は不思議になかったが、不安は拭いきれなかった。これでなんとか生きていけるだろう、それだけで十分だと特別な期待も持っていなかった。けれど…。


「ヤン、目を開けたまま寝てるのか?」

私語禁止の中を隣席からラップが小声で話しかけてくる。その声で我に返り、拍手のタイミングを逃していたことを知った。

「そんなに器用じゃないよ。少しばかり…感慨に耽っていただけさ」

前を向いたまま同じく小声で返答すると、「ふふん」と鼻先で笑うような声が聞こえた。


ラップ―――おまえと初めて会ったのも、この場所だったと思い出す。



次々に目の前に現れる課題を時間に追われるように慌しく片付け、ようやく一息吐けた入学式の日。ただでさえ着慣れない制服の、それも式典にだけ着用する白い礼服が気恥ずかしくて。大勢の人間に囲まれていることも落ち着かなく居心地が悪くて。たぶん緊張して強張った顔をしていたのだろう。
隣席から気遣うように声をかけてくれた同期生。

「君、大丈夫? 気分でも悪いのか?」
「あ…いや、大丈夫。ちょっとこういうの、慣れなくて…」

そっと向けた視線の先には、金の髪に青い瞳。明るく人懐こそうな笑顔を浮かべた彼がいた。
式典が終わり、会場を出てから互いに自己紹介をして、初めて寮のルームメイトだと知る。名前だけは判っていたが、まだ顔を合わせていなかった。可能になったとたんに入寮した自分とは違い、自宅が近い彼は始業式ギリギリに引っ越してくるつもりだったらしい。

「じゃあ俺もさっさと入寮しようかな?改めてよろしくな!ヤン」
「うん、ラップ。こちらこそよろしく」

勢いよく差し出された彼の右手を握り返しながら、その温かさに、抱えていた不安がひとつ、ゆっくりと解けていくのを感じていた。そして、この偶然に、小さな幸運に感謝した。


今思えば、あれは決して小さくない。大きな幸運だったのだ。
万事に不器用で不慣れな自分、殊に口下手で人付き合いの苦手な自分が、集団に溶け込んで無事にやってこれたのも、落第の憂き目を見ず今日を迎えられたのも、彼が何かと面倒を見てくれたお陰だと思っている。
そして、もう一人―――二年後輩のアッテンボロー。
今もこの会場の後方の席で、自分たちを送り出すために座っているだろうおまえ。
あの出会いも偶然だった。そしてやはり自分にとっては、とても大きな幸運だったのだと思う。


カリキュラムに止まらず校則や寮則のすべてが、人間育成以前に軍人育成を目的としている事にも、それに何の疑問も持たず黙々と邁進する殆どの候補生や教官たちにも―――日々辟易していた。
選択肢を持てなかった自分の境遇を初めて心底嘆いた。
けれど、ここに来なければ彼らと出会うこともなかった。
同じ想いを分かち合い友情と呼べるものを築くことが出来て、重苦しい現実とどうにか折り合いをつけて学生生活を楽しめた。彼らのお陰で、それまで無縁だった数々の経験をすることが出来た。小さく他愛無く、けれど自分にとっては貴重な経験。
彼らに会えて嬉しかった、友人でいてくれてありがたかったと、今素直に思える。



全員起立して国歌の斉唱。

(自由の旗・自由の民……か。)

軍隊の端に連なる候補生とは言え、後方のこの地にあっては、危機を実感することなく過ごしてきた。今が戦乱の世の中であることも、まもなく自分がその戦いに身を投じるのだという思いも希薄な中で、どこかのほほんと過ごしてきた。けれどこの先には、過酷な世界が自分を待っている。

自分はどこまで自由でいられるのかと思う。
日常生活のささやかな自由はあっても、人生を選び取る自由はおそらく今後も持てないのだろう。
『輝く未来、実りある明日』のためにこれから戦いに赴く自分は、不屈の闘志も、確固たる信念も、多大なる愛国心も持ち合わせていない。華々しく何かをやり遂げようという気概もない。
軍隊の片隅で、淡々と任務をこなしていくだろう。平凡で、とりえがなくて、うだつの上がらない士官として。ただ少しでも長く生き延びてささやかな自由を得て、僅かばかりの幸せを手にするために。

ここで過ごした平穏な日々を、自分はいつかきっと懐かしく思い出すのだろうと、そう思った。
何かに守られて過ごしてきた『子供の時代』が、これで終わる。



整列した在校生たちがつくる人垣の間を、会場の出口へ向かって通り抜けていく。
向けられるたくさんの視線が落ち着かなくて、俯き加減で足早に通り過ぎる。
これも、最初で最後の経験だな…と、照れ臭さで緩む口元に力を入れて引き締めた。


「ヤン先輩! ラップ先輩!」

頭の中にかかる靄を吹き払うように、鳴り響く拍手の中から耳に馴染んだ声が届く。
あげた視線の先に、鉄灰色の髪を揺らし、そばかすの頬に笑みを浮かべたアッテンボローがいた。
この2年足らずの間、毎日のように傍にいて、ラップと共に親友と呼べる存在だったおまえ。その笑顔に、おまえと共に過ごす時間に、いつもわたしは救われ癒されていた。
おまえとラップと一緒に、もう少しここで過ごしたかった。

アッテンボロー、きっとまた会おう! 
お互いどうにか生き延びて、そしていつかまた共に日々を過ごそう。
わたしたちを取り巻くのが過酷な世界でも、一緒なら笑って過ごせそうな気がする。

ラップが小さく手を挙げて応えている。 
おまえの青灰色の瞳を追って、視線を合わせて、声に出さずにゆっくりと告げた。

ありがとう―――と。 



End
2004/10/15


お断り:ラップの瞳の色はOVAでは茶色ですが、どうも管理人の脳内ではきれいなブルーのイメージが定着してしまっております。その設定で書かせていただきました。ご了承ください。
実は…この話には続編があるのですが、都合上、別所に格納しております(^^;) もし、興味を持って下さる方がいらっしゃいましたら、どうぞそちらにお越しください。このページのどこかに、ご案内窓口がございます。

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