三枚目の君たちへ 「おいジャン・ロベール!いつまでそんなことやってるんだ?遅れるぞ?」 「大丈夫!まだ十分余裕さ!」 洗面所から聞こえてくる調子っぱずれの鼻歌は、返事を返す間だけ途切れ、再び楽しげに流れ出す。これを聞いたら音楽学校に通う彼女はどんな顔をするだろうね?と、ベッドに腹這いになっていたヤンは、読みかけの本に目を向けたまま呟いた。すぐ傍にいたアッテンボローにはヤンの声が聞こえたらしく、声を殺してくつくつと笑っている。彼は椅子に逆向きに座って背凭れを抱き、先輩達のやり取りを面白そうに聞いていた。 土曜日の午後。寮の部屋は、ひとりラップの発散する熱気で蒸し暑くなっているに違いない。三人で、あるいはアッテンボローを含めて四人で過ごす季節を重ね、ラップが彼女に想いを告げたのは、つい最近のこと。晴れて恋人同士となったふたりの、今日は初めてのデートだった。 クリーニングしたばかりのジャケットとパンツ、新品のシャツにタイまで締めて一分の隙もなく装った彼は、そのあと鏡の前で一時間かけて髪型を整え、そして今は―――百面相の真っ最中。こっそりと覗いて来たアッテンボローの話によると、ブツブツと呟きながら、どの角度や表情が一番男前に見えるか?という命題に取り組んでいるらしい。かれこれ三十分は経っているから、これといった解答を得られずにいるのだろう。 「そのうちにこっちへ来て、わたしたちに意見を求めるに違いないよ?」 ヤンが悪戯っぽく囁いた言葉にアッテンボローはくすくすと笑っていたが、やがてラップが姿を現し「なあ、ヤン?」と困ったような声を発すると、堪えきれずにゲラゲラと笑い出した。 「なんだ、アッテンボロー?何が可笑しい!?」 「いえ、何でもないっス。こっちの話で――――ったーーーっ!!」 両手で頭を覆ったアッテンボローの悲鳴に、バコンと派手な平手打ちの音が被さる。 「ラップ先輩の、馬鹿力ーー!!」 「ぅるせーっ!茶化したオマエが悪い!!」 「ジャン・ロベール………続きを話したらどうだい?」 「あ、ああ。なあ……俺が一番男前に見える角度というか表情というか……おまえ、どう思う?」 案の定だ。ヤンは目を細めて微笑み、アッテンボローは俯いて唇を噛み締めながら、必死に笑いを堪えている。箸が転がっても可笑しい年頃というのは、何も女の子に限ったことじゃないようだ。 「そうだなぁ……少なくともそんな風に固まってたんじゃ、ダメだよ。男前って言葉の語源を知ってるかい?」 話題の転換にキョトンとするふたりに、ヤンは笑顔を崩さないままベッドの上に半身起き上がった。 「アジアの小さな島国の古典芸能、歌舞伎に纏わる言葉なんだ。歌舞伎というのは、独特の音楽に乗せて男だけで演じられる芝居でね。動いている姿の美しさが役者を評価する大きな基準だったらしい。『前』というのは、その動きのことを指した言葉なんだ」 「へぇ〜」 「ってことは……?」 「不自然に動きを止めたものは、魅力的には見えないってことだろ?いつも通りのおまえが一番なんじゃないか?」 「そ、そうかな?」 「そうさ!もっと自信を持てよ」 「そうですよ、ラップ先輩。変に意識すると三枚目になっちまい――――ってーーーーっ!!」 今度はゴツッと鈍い音がして、アッテンボローは涙目になりながらラップを見上げた。 「ひっでーー!俺が馬鹿になったらどうしてくれるんです!?」 「それ以上馬鹿になるか!オマエは一言も二言も多いんだよ!」 彼らのやり取りを見ていると、まるで仲が良すぎて喧嘩ばかりする兄弟のように思えてくる。込み上げる微笑ましさに含み笑いながら、ヤンは気の毒とも自業自得とも思える後輩のために、再び助け舟を出した。 「いい加減出かけた方がいいんじゃないか?ジェシカを待たせちゃ拙いだろ?」 「……ああ。じゃ、な」 「門限を破らないでくださいね〜♪」 「オマエは……!まだ言うかっ!!」 「わーーーっ!暴力はんたーーい!!」 「ふんっ!手が腫れたら彼女に心配かけるからな。殴らないでおいてやる。いいか?よく聞けよアッテンボロー。俺は今夜、外・泊・だ!」 人差し指を突きつけ挑むように告げるラップに、アッテンボローはヒューッと口笛を返す。それきり憎まれ口を収めた後輩にラップは鼻先で余裕の笑みを見せながらドアを開け、そして思い出したように振り返ると…… 「ヤン、ありがとな」 照れ笑いしながらも嬉しさを隠し切れない様子は、普段よりも二割り増しで男前に見える、とヤンは思った。 傾き始めた太陽が、静かになった部屋にセピアの影を落とす。急に温度が下がったように感じて、それはどこかヤンの心情を映しているように思えて、アッテンボローは言葉を出せずにいた。ヤンがジェシカに寄せていた仄かな想いを、ラップは誰よりも解っていた筈だ。その彼のはしゃぎ様はヤンへの思いやりを欠いて無神経だと思えてならない。 ヤンは今夜ルームメイトの帰らぬ部屋で、ひとり何を思って過ごすのだろう?どうやって慰めたらいいのだろう?自分にとって、とうの昔から特別な存在となっている敬愛する先輩を、アッテンボローはそっと見遣る。ヤンが開いている本は、さっきからページが捲られていなかった。 「三枚目というのも、同じ歌舞伎の言葉なんだよ」 「え?」 話題も思いがけないものだったが、それ以上にいつもと変わらぬ穏やかな口調に、アッテンボローは虚を衝かれた。静かだけれど、決して沈んでいない声。 「おまえがさっき言っただろう?三枚目って」 「あ………はい」 「あれはさ、役者の名前を書いた札を並べたキャスト表での順番なんだ。一枚目が主役。二枚目が色男。そして三枚目は、道化だったんだ」 「せん、ぱい………」 「ああ、勘違いするなよ?卑屈になってる訳じゃない。それに、道化を演じて来たつもりもない。でも結果的には、そうなってしまったかも知れないけどね」 「……………」 ヤンは再び起き上がって、言葉を失くした後輩を見つめた。淡い色の瞳は翳り、力なく伏せられている。 「アッテンボロー、ジャン・ロベールの態度を、酷いと思うかい?けれど、わたしは逆に救われた気分なんだ」 「でも……!何も、あんな……」 「彼がもしわたしに気兼ねして、らしくない態度を見せたら……それこそ居た堪れない。だからおまえも……そんな風に気遣わないでくれないか?」 顔を上げると、澄んだ光を湛えた漆黒の瞳が、真っ直ぐ自分に向けられている。それは心の中をすべて映し出す鏡のように思えて、アッテンボローはじわじわと頬が紅潮するのを感じた。 「……す、みません………」 「謝らなくていい。おまえの気持ちは……解ってる、と思う」 「せんぱい……」 「そりゃわたしだって、まるっきり平気なわけじゃない。少しは寂しいような残念なような……。そう思っているのも確かだよ」 「じゃあ……今夜、残念会をしませんか?俺、朝まで付き合いますよ」 「懲りないね、おまえは。最後まで付き合えたためしがないだろう?でも、まあ……友人としては、彼らの初デートに少しぐらいは祝杯をあげてやろうか?」 「無事に首尾を遂げられるように……ですか?」 「ぷっ!馬鹿だなぁ……。本気にしたのか?デートの後でジャン・ロベールは実家に帰るんだよ。週末恒例だろ?」 「え…? な……んだ。ラップ先輩が思わせぶりな言い方するから、俺てっきり…」 「月曜日にそのつもりで根掘り葉掘り聞いて、冷やかしてやればいいさ」 「そうですね。2発も殴られたお返しをしなきゃ!」 「はは…。そうと決まったら……買出しに行こうか?」 「はい!」 肩を並べて部屋を出る。夕陽に照らされてオレンジ色に染まった廊下は、少し切ないような、けれど優しい温もりに満ちていた。何時の間にか自分より背も高く歩幅も広くなった後輩は、軽やかな足取りでヤンの数歩前を行く。無邪気な笑顔や言葉にそぐわぬ逞しさを見せ始めたその背中に、ヤンは心の中で語りかけた。 (おまえもわたしも……多分三枚目なんだろうね。でも、それでいいと思わないか?誰かを幸せな気分にすることが出来るのなら…) 「先輩、ねっ!早く行こっ!?」 振り返る笑顔が夕陽に溶けて黄金色に輝く。眩しさに目を細め額に手を翳しながら、ヤンはぎこちない微笑を返した。 End 2005/6/19 【士官学校同盟】さまへ献上させていただきました。 やっぱり青春している彼らは、書いていてとても楽しいです(^O^)/ Storiesメニューへ戻る |