かけがえのないプレゼント


  side Julian

 新学期が始まったばかりの、夏休み明けの気だるさと残暑のダブルパンチにウンザリしている頃のことだった。夕食の後、ヤン大佐は僕を呼び寄せてソファーに座らせると、少し言い難そうに、だけどとてもきっぱりした口調で言った。
「ユリアン、冬休みが始まる前にわたしが戻らないようなら、その時はキャゼルヌ先輩のお宅でお世話になりなさい」
「えっ?」
「軍の広報課に電話をすれば、大体の予定は教えてもらえる。夫人にはわたしからお願いしておくから心配いらない……いいね、ちゃんと行くんだよ?」
 口ごもって俯いてしまった僕を見て、ヤン大佐は「留守の間ずっとと言いたいところだけれど、それは嫌なんだろう? だから冬休みになったら、でいいから」と続けた。それから――こんなことはとても珍しいのだけど――もう話は終わったとばかりに広げた本へと目を向けてしまい、僕は『嫌だ』とも『どうしてですか?』とも言いだすチャンスを失った。何も言えない雰囲気だったんだ。だから居た堪れなくて、仕方なくその場を離れたのだけれど。キッチンで夕食の後片付けをしながらも、僕の目には皿も鍋も映っていなかった。

 ヤン大佐は間もなく、また戦場に行く。今年の春、僕がこの家に来たばかりの頃にも戦いに行って、大佐はしばらく留守をした。慣れない環境にひとりでは心細いだろうからと、やっぱりその時もキャゼルヌ准将のお宅へ行くように言われたが……
 僕は行かなかった。大佐の帰りをこの家で待ちたかったから。
 だって、家族ってそういうものだと思うし、ここは僕の家でもあるんだし、僕は大佐の家族なんだと―――留守を預かり大佐の帰りを待つことで認められるような、というか、ホントに心から家族になれるような気がしたからだった。
 あの時は家中を綺麗にして待っていた僕に、大佐はちょっとびっくりした後で僕の頭をくしゃくしゃと撫でながら笑ってくれた。喜んでもらえたと思っていたのだけれど。僕は大佐のお役に立てて、ひとりでも大丈夫だと解ってもらえて、もう安心して留守を任せてもらえるものだと思っていたのに……僕の気持ちは伝わっていなかったのだろうか?やっぱり僕は、まだまだ頼りなくて世話が必要な子供だと思われているのだろうか? 確かに、まだ一人前だと言ってもらえるような年齢ではないけれど。
 その夜、ベッドに入ってからも考え続けていたら、なんだか自分でも変だと思う方に考えが行き着いてしまった。後ろ向きで、いじけてるみたいで、僕自身も好きになれないのに、僕は何故かその考えに強く囚われて離れられなくなってしまったのだ。
 僕はヤン大佐のお荷物なんだ。僕が居なければ、大佐はもっと自由気儘に生活できるのに、と。
 大佐が納得して僕を引き取ってくださったことは解るけど、実際にやってみたら想像したのとは全く違っていて嫌になる、なんてことは子供にだって経験があることだ。僕が大佐のお役に立てるのは家事ぐらいのもので、そんなのはハウスキーパーを雇うとか、僕でなくてもいくらでも代わりの利くもので。おまけに、生活人としてはちょっと難アリな大佐を、僕は偉そうに嗜めたりもしているわけで―――そんな僕は、きっと大佐にとって煩わしいだけの存在に違いない。僕がこの家にいる意義なんてどこにもない。その上、僕は戦場に行っている間も気にかけていなければならない面倒な存在として、ただでさえ忙しい大佐に負担をかけているのに違いなかった。
 そう考えると妙に納得できることがひとつ。大佐はいつも、僕を子供扱いして頭ごなしに命令するようなことはしない。相談をもちかけるように話しかけたり問いかけたり、ちゃんと僕の意見も聞こうとしてくださる。だからその例に倣うなら、キャゼルヌ准将のお宅で『お世話になったらどうかな?』と言われるのが自然だったはずで。きつい口調ではなかったけれど確かに命令形だったことが、僕を静かに打ちのめした。

 そして10日後、僕は自分の中のモヤモヤとした思いを伝えられないままに、ヤン大佐を見送ったのだった。



  side Yang

 戦況は混戦の様相を呈していた。敵の機先を制し、いち早く回廊の同盟側出口を扼して戦術的展開を封じ込めたまでは良かったが、その後がどうも捗々しくない。局地的に激しい攻防を繰り返し、だが全体としては一進一退、旗色が顕かになるところまではいかない。又ぞろ無意味な消耗戦になることは否めないだろう。いや、もう既にそうなっているか。これでは犠牲を増やしながら長引くばかりで……一体いつ終わるのやら。
 こんな無駄な戦いなどさっさと終わらせて、早く家に帰りたい。
 あの子が待っているだろうに。

 出動日を知ったとき、年内の帰還は無理かもしれないと、それが何より気になった。学校があるうちはともかく、冬休みになったらクリスマスや新年や――わたしには今ひとつ想像つかないが――同じ年頃の子供が楽しみにしているだろう日が続く。それをひとりで過ごさせるのは忍びなくて、キャゼルヌ先輩の家に行くようにと言い付けてきたのだが。どうも意に染まないという表情をしていた。きっとユリアンは家でひとり、待っているに違いない。だから早く帰ってやりたいのに……。
 思い出したら、ユリアンの淹れてくれる紅茶が無性に飲みたくなった。今、口にしているこれは、味も香りも本当に旗艦の士官用サロンで出されるものかと疑いたくなる代物だ。
「ユリアンが淹れてくれる美味い紅茶が飲みたいなぁ……」

「なんです? 先輩。ホームシックですか?」
 独り言のつもりが思ったより大きな声を出していたようだ。コーヒーカップをカチャンとテーブルに置いて当然のように向かい側に座ったアッテンボローは、揶揄するような言葉とは裏腹に気遣わしげな瞳を向けてきた。駆逐艦の艦長としてこの遠征艦隊に加わっている後輩は、こうして度々自分の艦を離れてはティータイムに乱入してくる。
「おまえ……また……っ! 職場放棄もいい加減にしろよ」
「ウチの艦の連中は優秀でして、俺がいなくても平気なんです。それに、今は休憩時間ですし」
「そういう問題じゃ―――――」
「で、何か心配ごとですか? ユリアンのこと?」
 バツが悪くて話題を変えようと思ったのだが、アッテンボローは騙されてはくれなかった。コイツはなんと言うか、昔っからこういうところの勘が鋭い。だが、相談相手には適役かも知れないと思い直す。
「おまえさん、クリスマスや新年はどんな風に過ごしていた?」
「は?」
「だから、子供の頃だよ。わたしは、ほら……どうも一般的とは言えない育ち方をしているから、さ」
「ああ……。そうですねー、どっちも家族揃ってご馳走食べて……それだけですけど結構楽しみにはしてましたよ。あ、もちろんクリスマスプレゼントも。尤も、士官学校に入るまでのことですけどね」
「やっぱり……そうだよな。だからキャゼルヌ先輩の家に行くようにと、一応言いつけては来たんだが。戦場に出たらいつ帰れるかなんて判ったもんじゃないし……」
 帰れるかどうかも判らないし―――とは口に出さなかったが、アッテンボローはその言葉をも聴き取ったような顔をした。
「ユリアン、嫌がっていたんですか?」
「理由も話さず、あの子の意見も聞かなかったから想像だけど……気が進まない風だった。せっかく縁あって家族になったのだから、去年までとは違ったそれらしい過ごし方をさせてやりたいと思ったんだが……」
 わたしと過ごすならともかく、いくら気心が知れているからとは言え、キャゼルヌ家に下駄を預ける恰好になってしまったことも気にはなっていた。それでも家庭の温もりを感じられるほうが良いだろうと思ったのだが―――もしや、それが間違っていたのだろうか? 家族というものに縁が薄かったあの子にとって、キャゼルヌ家の温かさ、たっぷりの愛情に包まれた幸福な子供たちの様子は、境遇の違いを思い知らされる辛いものだったのかも知れない。年齢に比して聡明で思慮深くて卑屈になったりしない子だが、何と言ってもまだ12歳。それに、いくら頭で理解していたところで、人間の感情というのは度し難い。人の花は赤く、隣の芝生は青く見えるものだ。
「家で待っていたい、っていうだけのことじゃないですかね? あまり考えすぎない方がいいと思いますが?」
 わたしの考えはすっかりお見通しといったところか。それでも差し出口になりはしないかと、言葉も口調も随分選んでいるらしいその気遣いがありがたくて、わたしは彼に少し笑って見せた。
「そうかな?」
「そうですよ。さっさと終わらせて早く帰ることだけ考えましょう!」
「そうだな。昔からクリスマスと新年には戦闘がない例からも、家族と一緒に迎えたいという気持ちは、敵も味方も皆同じだろうからね」
「あとは帰りの所要日数を考えて、早めに終わってくれないと……ですね」
「まったくだ」
 空になったコーヒーカップを持って席を立ったアッテンボローに、軽く手を上げて応えて。過去に何度も救われた彼の持ち前の明るさ、ポジティブな思考。その慰めを無意識に求め、与えてもらったというのに、わたしはまだユリアンが家に残りたがった訳を、彼の言うように楽観的には考えられずにいた。

 その戦い――第六次イゼルローン要塞攻略戦が終息したのは12月10日の夕刻。同盟軍の全面退却をもってのことだった。要塞は手に入らず、戦死者数においても帝国軍の二倍を数え―――つまりは、また多くの兵士の命と市民の税金を、これでもかとドブに投げ捨てただけに終わったのだった。そうして遠征艦隊がハイネセンに帰り着いたのは年も改まった1月1日の夜。年明けの大騒ぎで力を使い果たし気だるい休日を貪った人々が、のんびりと食後の団欒を楽しんでいるような時間だった。



  side Attemborough

 軍用宇宙港からシルバーブリッジ街へ向かうランドカー。その後部座席に、俺は先輩と一緒に納まっていた。今回ばかりはこんな展開は考えてなかったのだが、ゲートを出たところで先輩から呼び止められて、流れでこうなってしまった訳で。乗艦が損傷していた所為で優先的に首都星の軌道上へ帰着できたものの、それでも旗艦に乗っていた先輩同様とは行かない。一刻も早く帰宅したかった筈の先輩は、俺のことを待っていたのだった。
 まあその理由は、先輩の顔を見た途端、大体のところ想像できたけれど。
 「お疲れさまでした」と労を労い合って、引き止める訳にはいかないと早々に別れようとした俺に、口ごもりながらも「すまない」とか「世話になったな」などと話を繋げて。俺を当てにしているわけじゃなさそうだが、心細いと雄弁に語る表情。先輩のこういう不器用なところはホントに昔っから変わらない。しかも俺は、そんな先輩に滅法弱い。苦笑いしそうになるのを堪え、甘えん坊の後輩の顔を装って、「お邪魔でしょうけど、ちょっと寄らせてもらってもいいですか? 久しぶりにユリアンの顔が見たいし」と試しに言ってみたら案の定、先輩はあからさまにほっとしたように笑って頷いた。

「カウントダウンには残念ながら間に合いませんでしたね」
「損傷した艦艇を抱えての航行だから文句は言えないけど、一日遅れってのはなんだか悔しいね」
「キャゼルヌ先輩のお宅へ、連絡してみないで大丈夫ですか?」
「ああ、きっと家にいると思う。帰還予定も確かめているだろうから」
「それ以前に……ずっと家に居たかも知れないですね」
「……多分」
 先輩は俺を暗に誘った割には終始言葉少なで、車窓を流れていく見慣れた景色に目を向けたまま相変わらず考え続けているようだった。

 先輩は妙なところで気を回しすぎなんですよ―――と、俺は心の中で語りかける。この人は考えるのが得意な分、考えすぎる嫌いがある。そして多分、ユリアンもそうだ。
 思慮深いというのは確かに美点だと思うが、こと対人関係に関して言えば弊害になるのも間間あることで。誤解やすれ違いを恐れてとった言動が、かえって誤解を生むことも珍しくはない。互いに一目置き、好感を持っていることは明白なのだから、怖がらないでもっとぶつかり合えばいいのに、と思う。家族の微妙な問題に若輩者の俺ごときが口を挟むのは憚られるが、臆病になっている先輩をほんの少し後押しするお節介を許してもらおう。
 他ならぬ、このふたりのことだから。

 目的地が近付き、ランドカーのスピードが緩んだのを潮に、俺は先輩に話しかけた。
「先輩、余計な差し出口だとは思いますが……」
「先輩はユリアンのことを初めから子供扱いしてはいないでしょう? だったら、とことんそのように扱ってやったらどうですか?」
 怪訝な眼差しが向けられた。何を言いたいんだ?というように。
「ユリアンは先輩の意図を正確に読み取れると信用して、先輩の思ったことを全部話して……その方がユリアンだって思ったことが言い易いはずです」
「わたしが何も言わなかったことが、やっぱり拙かったんだろうな……」
「先輩はユリアンの気持ちを誤解しているように、俺には思えます。ユリアンも同様なのではないかと……」
「………腹を割って話せ、ってことか。男同士の付き合いだな」
 ふうっと息を吐いて苦笑した先輩はいい感じに肩の力が抜けていて、先輩本来の魅力であるところの自然体を取り戻したように見えた。

 やがて静かに車が停まる。先輩の家の窓からは、家族の帰りを待ちわびる柔らかな灯りが零れていた。
「それじゃ、俺はこれで」
「なんだ、寄って行かないのか?」
「すいません、疲れているのか急に眠くなってきまして……今夜はここで失礼します」
 先輩はしばらく無言で俺を見つめたあと右手を伸ばしてきて―――俺の頭をくしゃくしゃと掻き混ぜるように撫でた。まるで士官学校の頃、それも出会ったばかりで俺を半分ガキ扱いしていた頃のように。驚いて抗議の声すら上げ損なった俺に、先輩は人の悪い笑みを浮かべて言った。

「悪いね。予行演習させてもらったよ」



 シャワーを浴びて、適当に保存食をつまみながら軽く一杯引っ掛けて。そろそろ休もうかと思っていたところで、俺は一本のビジフォンを受け取った。明日、クリスマスと新年のパーティーをまとめてするからと誘ってくれた父子は、狭い画面の中で顔を寄せ合い、照れ臭そうな、それでいて見ているこちらまでもが幸せになるような笑みを浮かべていた。
 よく似た不器用な父子の、よく似た不器用な笑顔。
 二つ返事で招待を受け、短い通話を終えた後も、その笑顔と彼らの家に点っていた灯りが目に浮かんで、胸の奥をふわりと温めていた。
 美味いワインを見繕って行こう。ケーキはもちろん、クラッカーもあった方がいいな。それと、ユリアンに何かクリスマスプレゼントを! ベッドの中であれこれ楽しい想像を廻らせているうちに、ああ、ユリアンは今夜、何よりも欲しかった掛け替えのないプレゼントを手にしたのだなと思うと、切なさを伴ったような何とも言えない喜びが湧き上がってきた。思い煩うことから開放されて、彼らも今夜は深く心地良い眠りを手にすることだろう。
 その夜、俺は小さな子供の自分が、山盛りのご馳走を前に欲しかった玩具を貰って大はしゃぎしている、やたら幸せな夢を見た。




End
2005/12/27


お断り:第六次イゼルローン要塞攻略戦の終息日時は原作の記述に則ったものですが、首都星への帰着日時については作者の創作です。ご了承ください。

この作品は『PRIS☆MITE』のprismennさまに頂いたリクエスト(お題:誤解)で書かせていただきました。
お題の達成率はイマイチという気がしないでもないんですが・・・^^;
慌しい年の瀬に少しでもほのぼの〜としていただければ幸いです。
prismennさま、拙い作品をお受け取りくださいましてありがとうございましたvv




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