遥かなる輝きに向けて




 親指と人差し指で輪を作った即席のスコープを、腕を伸ばして目線の高さに掲げる。
 ―――目標視認。 距離、約70メートル。
 思い浮かべる架空の十字線。その交点と重ね合わせて。
 明滅していたゲージが赤く点灯し、ターゲットがくっきりと像を結ぶ。
 ―――ロック・オン。
 軽く拳を握った右手の親指に力を込め、発射ボタンを押した。


「おい、何やってんだ? アッテンボロー」
 背後からかけられた声に慌てて腕を下ろしたが、時すでに遅しといったところか。振り返った先で、ラップ先輩は俺のおかしな行動の理由までも解かっているぞと言いたげなニヤニヤ笑いを浮かべている。ミサイル並みの攻撃を想像し身構えたにも関わらず、向けられたのは至極当たり障りの無い質問だった。
「昼メシ、もう済ませたのか?」
「あ、いえ……でも今日は、いいっす」
 先輩たちと共にする昼食、その為のテーブル確保は、俺が楽しみにしている日課のひとつ。それが食堂に行きもしなかったことで心配させたかも知れないと思ったのは、遅ればせながら、つい今しがたのこと。せめて食後の休憩にはと思い、裏庭に来てみたところだった。
「すいません、場所取りフケちゃって。それに、気にかけてもらったみたいで……」
「そんなのはいい。どっか具合でも悪いのか?」
「あー、……悪いっちゃー悪いんですが……病気って訳じゃないっす」
「もしかして……さっきの不審な行動と関係アリか?」
「はぁ……まあ。メシ前の授業が………ヤラれました」
 ぷっと吹き出したラップ先輩が、予想が的中したとばかりに笑い出す。腹を抱えて、苦しそうに声を殺して。どうせなら声を出して笑ってくださいよ、と俺は口の中だけで文句を言い、つま先で小石を蹴りながら歩き出した。
 午前中最後の授業は戦闘艇操縦訓練。スパルタニアンのシミュレーターを俺は今日初めて体験したのだった。地上にあるということぐらいで、身体にかかるGや被弾した時の衝撃など、他はほぼ完璧に再現されたマシン。要するに、洗濯機の中のパンツかシェイカーの中の酒かってな具合にブン回されて気分が悪くなり、とても昼メシを食うどころじゃなかったのだ。
「どうしてメシ前なんて時間割を組むんですかねー」
「んー、でもメシ後よりはいいと思うぜ?」
 思わず想像してしまって、空っぽの胃から苦いものが込み上げそうになる。噛み潰そうとする俺の顔を見て、ラップ先輩は一度治めていた笑いを復活させた。
「まあ何事も慣れだよ、アッテンボロー君」
 経験の差とか歳の差を突きつけるようなセリフを、笑いながらサラリと言われたのは悔しかった。反論の余地を探しているうちにガシッと肩を抱かれ、耳元に落とされたのは一転して低く押し殺したような真面目な声。
「だがな、アレを目標にするのだけは止めておけ」
 やはり見透かされていたのだと―――冷たい手のひらで心臓を撫で上げられたような気がした。強張る首を捻じ曲げ恐々目を合わせたラップ先輩は、だが、いきなり破顔し、今度は声をあげて笑い出した。
「あんな動きの鈍い仮想敵じゃ、とても訓練にはならない」
 俺も盛大に吹き出した。笑っちゃ悪いと思ったけれど、発作は治まらなくて。次々に溢れてくる笑いと宥めるように背中を叩いてくれるラップ先輩の手が、モヤモヤした気分を全部まとめて洗い流していく。俺たちは涙の滲んだ目元を擦りながら、大樹の下で午睡を貪っている目標に向かって足を速めた。


 冬枯れた芝生と僅かな下草の上で、ヤン先輩は組んだ腕を枕にし、広げた本を顔に乗せたいつものスタイルで寝転んでいた。背中が痛くて寒いだろうと思うのだが当の本人は平気らしく、すうすうと気持ち良さそうな寝息を立てている。でもその割に眠りは浅かったらしい。俺たちが笑いの後遺症を引きずりながら傍に腰を下ろすと、本の下からくぐもった声が聞こえた。
「何か楽しいことでもあったのかい?」
「まぁな。アッテンボロー君の素敵な初体験の話を聞いてたのさ」
 本当は目標の話で笑っていたのだが。それを話されたら少々困るなと思っていた俺は、ラップ先輩の言葉に安堵した。けど《素敵な初体験》ってのはあまりな言われ様、というか―――誤解を招く!
「その所為で食堂にも来れなかったそうだ」
「へぇ〜、アッテンボローもお年頃になったもんだね」
 案の定、ヤン先輩はすっかり興味を惹かれたらしく、何時になく身軽な動作で起き上がった。それから、整えてるのか掻き回してるのか判然としない手つきで乱れた黒髪に手櫛を入れながら、俺を見てにっこりと微笑む。髪に絡んでいた枯れ芝がはらりと零れ落ちた。
「もちろんわたしにも、その話を聞かせてくれるんだろう?」
「あ………そのー………」
「相手は同級生かい? どんな女性なんだ? 美人か?」
「いや……だから、ですね………」
 しどろもどろになった俺の声を、けたたましいほどの笑い声が掻き消した。笑い転げるラップ先輩を横目で睨んでいると、意外にも少し遅れてヤン先輩まで笑い出す。鈍いと言われたら返す言葉もないが、俺はようやくこの時になって先輩たちにすっかり遊ばれていたことに気付いた。考えてみれば誰もが一度は通る道。哀れな初体験の授業は毎年この時期にある訳で。どこかで誰かの愚痴でも耳にすれば、経験者の先輩たちにはその惨状が容易に想像できたのだろう。怒る気も失せて脱力してしまった俺の肩を、ラップ先輩がポンポンと叩きながら言った。
「だから、慣れだから気にすることはないと言ったろう?」
「おまえさんの運動神経なら、すぐにモノにできるさ」
「いや、それ以前の問題っすよー。乗り物酔いっつーか、あの失調感がどうにも……」
 言いながら、実技科目が悉く苦手なヤン先輩はどうやってモノにしたのだろうかと、些か失礼なことを考えたが、俺はそれよりも気になっていたことを話題に選んだ。
「でも、なんで俺たちが操縦訓練なんてやるんすかね。 ヒコーキ乗りは専科学校でしょー?」
「艦隊運用に携わるはずのわたしたちには必要ないってかい?」
「ええ、まあ…。白兵戦技や射撃だって似たようなものかなって思うけど、そっちはまだ辺境基地の勤務にでもなれば可能性アリじゃないっすか。でも……」
「俺たちは士官として、徴兵されて来る奴らの上に立つ。何事も知らないじゃ済まされないだろうよ」
「戦争の専門家養成の一環、ってことっすか?」
「そう。不本意だけどね……」
 先輩たちと知り合ったお陰で薄れていた重苦しさが、輪郭を露わにするように圧し掛かってくる。さっき味わったばかりの戦闘艇酔いよりも更に苦いものが込み上げてきて、俺は思わずしかめっ面のままでヤン先輩の顔を見つめてしまった。
「正直なところ……軍人になるより道がないわたしは、赤点さえ取らなければいいと思っている。けれど、それなりに知ることは必要だと思うのさ。空戦隊にしろ白兵戦部隊にしろ、その特性を理解して適切に投入する術を知らなければ、無駄死にを増やすばかりだ。座学だけの知識よりたとえ僅かな経験でも、より正確に判断する助けにはなるだろうと思う。最少の犠牲で最大の効果を上げるべく如何に効率良く戦うかを考えるのが戦略であり、戦術であり、それを考え指揮するのがわたしたちの仕事になる。尤も、落第スレスレのわたしには、運良く生き延びて間違ってでも昇進しない限り、必要はないけどね」
「そうさな。俺は退役まで、実戦とは無縁の辺境星域たらい回しでもいいんだがな」
「わたしは年金がつくようになるまで、戦史編纂室あたりに貼り付いていたいね」
 まるで休日の予定でも相談しているように穏やかな口調。俺は半ば呆気にとられながらもゾクゾクと鳥肌が立つような感覚を覚えずにはいられなかった。嫌々軍人予備軍としての仲間意識を持っていたが、子供じみた反抗心だけで突っ張っている俺とはなんと違うのだろう。たとえ不本意な状況にあっても、より理想に近いものを目指していく。柔軟な思考を持ち、受け入れるべきところは受け入れつつ、けれど自分を見失わない。
 手を伸ばせば届く距離に居ながら、果てしない隔たりを感じるのはこんな時だ。
 たった二年の歳の差が永劫のように思えるのは、こんな時だ。
「まあ、わたしなんかが言っても説得力はないだろうけど……。アッテンボローならきっと必要になるだろうからね」
 柄にもないことを喋ってしまったと言いたげに、ヤン先輩は照れ臭そうに頭を掻きながらふわっと微笑んだ。
 唐突に想いが湧き上がった―――この人について行きたい。
 この人から離れずに、本当の意味で肩を並べて歩きたい。この人の下で役に立てるような、この人に必要とされるような存在になりたい!
 古代の戦史を紐解きながら口にした鋭い指摘、戦略戦術シミュレーションでの型破りに見えてその実、理に適った戦術。ヤン先輩が垣間見せてくれた輝きの片鱗に、俺はこれまでにも度々魅せられてきた。その漠然と感じていた好意や憧れが敬愛のかたちに明確な像を結ぶのを、俺はこの時にはっきりと自覚したのだった。



 ―――半年後
 先輩たちは卒業して本物の嫌々軍人になった。
 卒業式の日、ラップ先輩はあの日のことを覚えていたのか「腕は上がったか?目標を見失うなよ」と、ニヤリと笑いながら俺に耳打ちして去って行った。
 先輩たちの最初の配属先は奇しくも希望が叶った結果になったが、やがて辺境星域の駐留艦隊に異動したヤン先輩は、そこで先輩言うところの間違って異例の昇進を遂げた。まだ在学中だった俺は、快哉を叫びたい気持ちと、絶望的に開いてしまった隔たりに眩暈がしそうな感覚を二つながら味わった。これで弾みがついたように、ヤン先輩は時折あの輝きを放ちながら順調に昇進を重ねて行く。何千万といる軍人の中で卒業後三年目にして同じ艦に乗り合わせ、その後もさして離れることなく来れたのは、運の強さか、縁の深さか、それとも俺の執念の為せる業か。
 ともあれ、ヤン先輩の姿を、俺は諦めることなく心の中のスコープに捉え続けた。



*  *  *  *  *  *  *  *



 艦橋から降りのエレベーターに乗り、艦底部の通路を艦載機ドックへと向かう。
両手をスラックスのポケットに入れたまま少し俯き加減で淡々と歩く先輩の後ろを、俺は高揚する気持ちを隠しきれないままついて行った。
 先輩に望まれた訳ではない。自分から押し掛けて来たこの場限りのものに過ぎないが、それでもようやく先輩の指揮で動けるのだ。八年かかってここまで辿り着いたという感慨は膨らむばかりで、さり気なく尋ねるはずの言葉は力んで呆れたような口調になってしまった。
「どうしたんです? 志願するなんて、らしくないなぁ」
「なら、どうしておまえさんも志願した?」
「どうせあの世に行くのなら、貴方の指揮の方がマシでしょう」
 そう言いながらも、俺はあの世に行くはずなどないと確信していた。「やってみる価値はある」と先輩が言った時から、恐らくは先輩自身が弾き出している以上の確率で、俺は作戦の成功を信じていた。スコープの遥か先で俺を変わらずに魅了し続ける先輩自身を、誰よりも信じていた。
 そして―――


 帰還途中、興奮冷めやらぬ俺に半ば背を向けたまま、先輩は無言で窓の外を見ていた。先ほどまでの激しい戦闘が嘘のように深く静かな闇。ふたりしかいない展望室の強化ガラスは大きな夜鏡になって、先輩の白く静かな横顔を映し出す。低く響く駆動音に混じって、息を吸い込む微かな音が聞こえた。
「わたしが、もっと強く進言していれば………」
 小さな綻びから無意識に零れ落ちてしまったような呟き。先輩を《落とし前をつける》行為に駆り立てた後悔は、溜息混じりに途切れ、苦しげに顰められた顔は一瞬で再び無表情の下に消えた。俺は耳を欹てるようにしてその先の言葉を待ったが、続きが紡がれることはなかった。
 慰めなど欲せず、身の内にすべてを抱え込む凄絶なまでの潔さ。
 近付いたかに思えた姿が、また遠退く。百万光年先の星を追いかけているような無力感に囚われる一方で、俺は、苦悩を抱えているだろう先輩を前にして思うには不謹慎極まりない悦びを感じていた。きっと誰にも見せるつもりなどなかったのだろう心の綻びを、図らずも俺には見せるに至った、ささやかな絆に。

 いつか、本当に先輩と肩を並べることができた時、片腕となって働くと同時に、その苦悩も共に背負うことが出来ればいいと。あるいは、ほんの僅かでも癒すことが出来ればいいと―――。
 スコープの中に、あの頃よりも遥かに輝きを増した先輩の姿を捉えながら、俺は熱い紅茶の入った紙コップを、そっと差し出した。



End
2005/12/23
2005/12/31UP

3333打を拾ってくださいました遊佐薫さまに捧げます。
よく考えたらリク内容ちょっと外れてるし、何よりこんなにお待たせしてごめんなさいっ><。
快くお受け取り下さいましてありがとうございましたvv


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