家族ゲーム


 定時に職場を出て見上げた空は、夕方と言うにはもう随分と暗かった。夕焼けの名残りを留める紫のベールが西の地平近くに薄く漂っているだけで、頭上を覆う大方の空は鈍い水色に沈んでいる。それも間もなく濃い藍色に塗りつぶされて、冷たく冴えた光を放つ星々が瞬きはじめるだろう。
 秋の日は短い。
 陽の差す時間も短ければ、季節そのものも短いような気がする。炎暑の夏と凍てつく冬、苦手なふたつの季節に挟まれた過ごし易い時季は、惜しむ身体をすり抜けるようにあっと言う間に過ぎ去ってしまう。スラックスのポケットに両手を突っ込み背を丸めて、ヤンは晩秋の街の中へ歩き出した。

「もう秋も終りですねー」
「そうだなぁ」
 隣で呟く声に低く相槌を返す。実際、冬はもうすぐそこまで来ている。街路灯に浮かび上がるプラタナスは赤茶色に染まった葉を半分方落とした姿だし、気の早い商店はクリスマスのイルミネーションを煌かせ、お決まりの浮き立つような音楽を歩道いっぱいに流している。そのあまりの賑々しさに返って寒々とした印象を覚えるほどだ。
「こんな日は、酒でも飲んで温まって帰らなきゃ、ですね」
 弾むような声に、ヤンはぼんやりと通りを眺めていた目を上げた。後輩は思った通り無邪気に微笑みながら、その目の色だけで同意を求めてくる。彼にとっては気温の変化ひとつも、楽しいことを始める引き金に過ぎないのだろう。まるで全てを遊びにしてしまう子供のようだと苦笑う。
「おまえさんは寒さも暑さもお構いなしに、年中寄り道の口実にしてるだろうが」
「理由もなく年中飲んでいる先輩に言われたくないですね」
 意地の悪い揶揄も何のその。容赦の無い切り返しは、腹立ちどころかいっそ笑いを誘われるほど清々しい。悪童の顔に軽く睨みをくれただけで許してやることにしたのは、馴染みのパブの看板が交差点の向こうに見え始めたからでもあった。ここまで来るとどちらからとも無く足取りが速くなるのはいつものことだ。ゴールを競って気持ちだけは駆け込んだふたりに、ゴールテープ代わりのドアベルの音がチリリンと軽やかに響いた。


 木肌の手触りもいい感じに古びた、どっしりとしたテーブルを挟んで向かい合う。素朴で無骨な感じの調度が醸し出す温もりに、ほろっと気持ちが解けるような感覚を味わう。この店は何時来ても居心地がいい。ようやく飲酒年齢に達した若者から白髪の老人まで、誰をも違和感無く包み込んでくれる。その懐に身を委ね心から寛ぐ者たちの談笑する声は、耳障りな喧騒とは違う心地良い賑やかさだ。
 この季節にはまだ少し早い気がするホットウイスキーのグラスを口元に運びながら、アッテンボローはふっと微笑んだ。温められたアルコール独特の咽返るような芳香が鼻を突く。これだけで酔っ払ってしまいそうで、学生の頃は苦手だった。それが今では美味いと思えるのだから、慣れというのは大したものだと思う。
「何を思い出し笑いしてるんだ? いやらしいヤツだな」
 不機嫌そうな声にアッテンボローが顔を上げると、ヤンは仏頂面でソーセージに齧り付いていた。自分はTPO無視でしょっちゅう物思いに耽るくせに、他人に置いて行かれると途端に不機嫌になる。相変わらず我侭な人だ。
「そういう想像をする先輩の方がいやらしいですよ。 俺はただ単に感慨に浸ってたんです」
「どんな想像もしちゃいないさ。 ひとりでニヤニヤしてるのがいやらしいって言ってるんだ」
「はいはい、蚊帳の外にして悪うございました」
 拗ねている内心が丸見えだ、と堪えきれずに笑いが零れる。ヤンから上目遣いに睨まれたが、アッテンボローは軽く受け流して思い出し笑いの中身を話した。
「ですからね、これも先輩に連日手取り足取り鍛えていただいたお陰かな、と思いまして。 感謝してますよ」
「与り知らぬことに感謝されても困るね。 まあ強いて言えば、味覚が大人になったってことじゃないかい? 味覚だけ、だけどな」
「お言葉ですが、身も心も日々成長してますよ。 先輩と肩を並べられるぐらいにはね」
「ふ〜ん? それにしては、今夜は駄々っ子みたいに随分と我侭だったじゃないか?」
 誘い誘われ、仕事帰りに連れ立って飲みに行くことは珍しくない。ただアッテンボローが身軽な独り身なのに比べヤンは一応家庭持ちになったので、寄り道はヤンの都合が許す日に限られていた。ところが今夜のアッテンボローは、些か強引とも思える誘い方をしたのだ。「どうしても今夜じゃないと困るんです」などというセリフは、実際のところ彼に似つかわしくない。
 モグモグと咀嚼していたフライドポテトを行儀良く飲み込んでから、アッテンボローはにっこりと笑って言った。
「それは、こういう理由です」
 テーブル越しに差し出された物を、ヤンはただじっと見つめていた。白いロゴが入った海老茶色のビニールバッグは、ヤンにも見覚えのあるカジュアルな衣料を扱う店のものだ。最初に考えたのは「コイツに何か貸していただろうか?」で、次に思ったのは「この前遊びに行った時に何か忘れ物をしてきただろうか?」だった。 だが、どちらにも思い当たる節がない。
「先輩にプレゼントです。 受け取って下さい」
 一向に手を伸ばさないヤンに痺れを切らしたように、アッテンボローは更にずいっと袋を差し出した。
「え!? な、なんだよ……いきなり……クリスマスには、まだ早いだろう?」
「ええ、違いますよ。 ほら、いいから手を出して」
 躊躇いながら出したヤンの両手に袋が乗せられる。結構嵩のある品物は、柔らかな感触でくたりと撓む。テーブルいっぱいに並んだ料理の皿の中に突っ込ませない為には、手元に引き寄せるしかなかった。
「キャゼルヌ先輩のところの招待状、届いてますよね?」
「え? ……ああ、来てた」
 彼ら共通の先輩は―――というか、その夫人の差し金なのだが―――欠食児童もどきの後輩たちを、機会をみつけては自宅に招待して家庭料理を振舞ってくれる。ヤンに関しては、その養子となったユリアンを引き合わせた責任を感じてか、たまの食事会に止まらず日常的に何くれと無く気配りをしてくれていた。そのキャゼルヌ家から恒例のクリスマスパーティーへの招待状が先日届いたのだ。
 それと、このプレゼントと―――いったい何の関係があるのだろう?
 ヤンが首を傾げたタイミングで、アッテンボローは有無を言わさぬ調子で言った。
「その時に、それ、着て来てください」
 クリスマスに着る服と言えば………!? 嫌な予感がひたひたと押し寄せる。
「まさか……サンタクロースの衣装じゃないだろうな!?」
「さあ? どうでしょう?」
 ニヤニヤ笑いの後輩に思わせぶりに言われて、ヤンは思わず袋の隙間から中を覗き込んだ。予想した真っ赤な布は見えない代わりに、真っ白なものが見える。
「……スノーマン…か?」
 眉間にシワを寄せたヤンに、アッテンボローは楽しくて堪らないというように笑った。
「あんまり疑り深いと損をしますよ。そんな警戒しないで……開けて見てください」
 ヤンは憮然としながらも、ビニールにピッタリと貼り付いたテープを苦心して剥がす。中から出てきたのは純白のパーカーだった。ふかふかとマシュマロのように優しい手触りが、頬擦りしたくなるほど気持ちいい。
「あ……これって……」
「ええ、ユリアンと色違いのお揃いです」
 それはひと目見て判った。何しろユリアンの物はヤンが自分で見立てたのだから。
  
 半月ほど前の、やっぱり今日のように連れ立って飲みに行く途中で、ヤンはウインドウに飾られたパーカーに目を惹かれた。確か木枯らし一号が吹いた翌日だったと思う。ユリアンに冬の衣類を買い足してやらなければと思っていた矢先、そのパーカーは如何にも暖かそうに見えたのだ。
 秋に実る果実の、熟しきる一歩手前のオレンジ色。
 少し薄めたような毒々しさの無いその色が、ユリアンの白い肌や柔らかな色の髪や瞳に良く似合う気がした。
 まだヤンよりもふた回りは小さい、明らかに自分の物ではない服を選ぶのは、擽ったいような気恥かしいような、いわく言い難い気分だった。だから買い物の間中、何時に無く饒舌だったと思い出す。隣に居たアッテンボローは、そんな照れ隠しのようなヤンの述懐を耳にしたはずだ。
 何を話したか細かいことは忘れてしまったが、店を出て歩き出しながら不思議と素直な気持ちで交わした会話だけは思い出すことが出来た。
『家族のために物を見立てるっていうのは……なんだか温かい、な』
『相手を思い浮かべると優しい気持ちになるからじゃないですか? それでいくと、恋人とか親しい友人とか……好きな人の物でも、同じように温かくなれそうですよね』
『うん……そうだな』
 胸に抱いたビニールバッグは、手触りの冷たさも気にならない温もりを感じさせてくれた。

 思い返して、ヤンはアッテンボローの気持ちがなんとなく解った気がした。この後輩が、豪放磊落な外面からは意外に思える繊細で柔らかな心を持っていることも、結構甘えん坊なことも、ヤンは知っている。昔のままの可愛い後輩を見つけた気がして、やっぱり見かけほど成長してないじゃないか、と不意に楽しくなる。
「ま、しょうがないから、もう暫くは兄貴代わりを務めてやるかな」
「え? 何です?」
「いや、別に。 なんでもないよ」
 零れてしまった呟きは、ちょうど隣のテーブルで上がった笑い声に掻き消されて、アッテンボローの耳には届かなかったようだ。幸運に感謝しつつ、ヤンは澄まして言葉を継いだ。
「おまえ、クリスマス休暇ぐらい、家に帰ったらどうだ?」
「なんです? 俺を除け者にして先輩たちだけでパーティーを楽しむつもりですか?」
「いや、そうじゃなくって。 たまには顔を見せて親孝行しろってことだよ」
「夏には帰りましたよ。 そんなのは年に一度で充分ですって」
 頬を膨らませてこそいないけれど、本気でむくれているらしい声音だった。父親との確執はまだ続いているのか、肉親に縁の薄いヤンにしてみれば、それすらも羨ましい限りの温かい家庭なのだが。
「ね、それより先輩、 父子でペアってお洒落でしょ? ちゃんと着てくださいね」
「ああ、有難く使わせてもらうけど……ところで、何でこの色なんだ? 真っ白ってのは、どうも、その……」
 軍服で過ごす時間が長い所為か、明るい色にはどうも気後れしてしまう。式典には着用する決まりの白い礼服でさえ、落ち着かないことこの上ないのだ。
「先輩には絶対きれいな色が似合います! 爺むさいくすんだ色ばっかり着ないで。 どうせなら、ユリアンだって若くてカッコいいお父さんの方が嬉しいに決まってますよ」
「…………充分若いお父さん、なんだけどね」
 《カッコいい》の部分に反論できない十五歳違いの父親は、若さだけを力なくアピールして嘆息した。

 
 店内の照明が、じんわりと滲んで見える。琥珀色をした古風な火屋の所為だけでなく、酔いが身体を侵し始めているのかも知れない。それほどグラスを重ねた訳ではないが、温かい酒は廻りが良くて経済的だ。頼んだ料理も粗方食べ終えて、アッテンボローは片手で頬杖をついたまま微笑んでヤンを見ている。今夜の計画が思い通りに運んでご満悦なのだろう、と考えて、ヤンはもうひとつ疑問が解決していないことに気付いた。
「なあ、アッテンボロー、なんで今夜じゃなきゃダメだったんだ?」
 ヤンのために見立てた服を渡したいだけなら、別に今夜でなくてもいいはずだ。クリスマスパーティーにはまだひと月近くも日があるし、渡そうと思えば職場でだって渡せる。何しろ部署は違うが、同じビル内に勤務しているのだから。
 ふぅ、とひとつ息を吐いてから、アッテンボローは目を細めてふわりと笑った。
「先輩は俺ン家の家族構成を知ってますよね?」
 随分唐突な質問だ。話の脈絡がまるで繋がっていない気がしたが、ヤンは黙って頷いた。
「姉貴どもって……元々気が強いうえに三人で結託すると、まるで歯が立たないんですよ。俺の意見なんか通りゃあしない。例えば何をして遊ぶかも、家族旅行の行き先も……民主的って言やぁ聞こえはいいですけどね、多数決で絶対負けちまう。子供の頃はホントに魔女みたいに思えましたね」
 ろれつは怪しくないが、コイツ、酔ってるのだろうか?と。ヤンはアッテンボローの顔を注意深く窺った。
「でね、年に一度だけ俺の意見が通るっていうか、思い通りにさせてくれる日があったんです。その日のイベントもご馳走もプレゼントも……もちろん庶民の財布が許す範囲でですけど、望みを叶えてくれる。元はおふくろの提案でしたけど、姉貴どもも誕生日ぐらいは仕方が無いって横槍を入れずにいてくれてね」
 ニコニコと笑うアッテンボローの向かい側で、ヤンは次第に顔が強張り、すうっと酔いが醒めていくのを感じていた。
 アッテンボローの誕生日。
 士官学校時代にラップとふたりで祝ってやったことがあったが、正確には覚えていなかった。でも、確か、秋の終り。文化祭が済んで、そろそろクリスマス休暇前の試験に向けて準備を始める頃じゃなかっただろうか?
「おまえ……実家に帰れば……祝ってもらえただろうに……」
「先輩はそんなに俺を家に帰したいんですか?」
 今度ははっきりと膨れっ面だ。否定しないところをみると、恐らく今日が誕生日で間違いないのだろう。失念していたのは悪かったが、それだけならば謝って、おめでとうを言って。遅ればせながらの祝いの席を設けてやるなりできる。
 だが―――
 贈り手と貰い手が逆転してしまったプレゼントの決着を、どう着ければいいというのだろう? まるで出来の悪いコメディのようではないか。
「プレゼント、買ってやるから、欲しい物を言えよ」
 これでは脅迫まがいだ、と声も表情も固くなっているのを自覚しながら、ヤンは忘れていたことを素直に謝れなかった。先輩の面子に拘るつもりはないが、あまりに立つ瀬が無さ過ぎる。
「だからぁ、先輩と一緒に飲めたし、渡したかった物も渡せたし。 俺のやりたかったことを思い通りにやらせてもらったのが、いわば先輩からのプレゼントですよ。 強制的に貰っちゃったのは悪かったですけどね」
「貰ったのはわたしの方だ! それならせめて祝いぐらい言わせろ」
「ん〜〜、じゃあもう一杯お替りを頼んで、それで乾杯してください。ねっ?」
 ホットウイスキーではさまにならない。祝い事の乾杯はやはりこれだろう、とヤンはシャンパンを頼んだ。生憎とお洒落なバーではないのでグラス売りは無かったのだが、それを尋ねるまでもなくボトルで注文したのは、やっぱり先輩の面子に少々拘っていたのかも知れない。
「誕生日おめでとう。ダスティ坊やはいくつになったんだい?」
「そういう憎たらしいことを言いますかね?」
「こんな悪戯は、どう考えたって悪ガキの仕業だろうが?」
「じゃあ先輩も悪ガキですね。ふたつっきゃ違わないんだから!」
 どちらがどちらをやり込めているのか―――もう既に判断はつかなかったが、これまた順番が逆転してしまったシャンパンを、差しつ差されつして。何とも珍妙なバースデーパーティーはボトルが空いたところでお開きになった。


 アッテンボローは今宵のイベントに満足し、程よい酔いも手伝ってご機嫌だったし、ヤンはまだ釈然としないものの、飲み代を全部負担して一応の格好がつけられたことで幾らか溜飲を下げた。
 晩秋の夜気は数時間でぐっと温度を下げていたけれど、寒さはあまり気にならなかった。少し強くなった風が歩道に溜まった落ち葉を巻き上げて、カサカサと軽やかな音楽を奏でていく。家路を急ぐ人々が前屈みになって足早に通り過ぎる中を、アッテンボローはダンスのステップでも踏むように歩いていた。純白のパーカーを着たヤンの姿を、ウキウキと思い浮かべながら。
 いきなりでは抵抗があるだろうと白を選んだけれど、本当はもっと明るい色を着せたかった。ユリアンに選んだような薄いオレンジや、クリーム色や―――
 そうだ、先輩の誕生日には春らしい色の服を贈ろう。 
 桜の季節に相応しく、淡いピンクのシャツがいい。
 絶対似合う!
「先輩、きっとめちゃくちゃ可愛いっ!」
「誰が可愛いだって!?」
 心中密かに思い浮かべていたはずの言葉をしっかり口にしていたと気付いたのは、ヤンの地を這うような声が聞こえた後だった。
「え……いや、その……俺、何も、言ってませんよ?」
「嘘つけ! しっかり聞いたぞ。 だいたいおまえはなぁ、昔っから先輩を先輩とも思わないで……」
「わっっぷっ!!」
 往来の真ん中ではあるが一発殴らずにおくものか、とヤンが手を伸ばしかけたところで、奇妙な声が上がった。成人男性の手のひらよりもひと回りは大きいプラタナスの枯葉が一枚、平手打ちよろしくご機嫌な酔っ払いの顔に貼り付いていた。長年面倒を見てやっている先輩をからかった天罰に違いない、と。悪童のお仕置きは大自然に任せることにして、ヤンは晴れ晴れと笑った。




END
2006/11/23


アッテン誕生日に寄せて。
某Tさまの御殿のTOP絵を拝見し、BBSでお喋りをさせて頂いたお陰で書くことが出来ました。
素晴らしい刺激を頂いたうえに快くネタを使わせてくださって、本当にありがとうございました! 
こんな所からですが、スーパーウルトラスペシャル級の感謝をっ!!





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